教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 537回   4年国語教材「一 つ の 花 」 教材研究 その2

前回に続きます。


4場面
物語は、「条件的にものを見る」ということを学ばせます。
子どもたちに今の自分の生活と比べて、簡単に判断させてはならないのです。
条件設定された社会、環境の中での登場人物の行動や言葉を考えさせます。
その言動には、常に、必然性が伴います。



ゆみ子ちゃん、いいわねぇ。お父ちゃん、兵隊になるんだって。ばんざあいって」
 ここにお母さんの心にもない言葉がある。
 子どもたちがこの言葉から、お母さんはお父さんが戦争に行くことを賛成していると誤解しないようにする。
 子どもには、父親がいなくなることを納得させる必要がある。
それが「兵隊になるんだって」という言葉である。
そして、母親の父親に対する気持ちとは違う。


 今、ゆみ子に泣かれては困る。
お父さんとまた会えるとは限らない。
最後になるかもしれない。
だから、お父さんに心配をかけたくない。
ゆみ子の泣き顔を見せたくないという気持ちが、心にもない言葉を出させた。


ごみすて場のような所に、わすれられたようにさいていたコスモスの花。
 コスモスの花はたとえである。
 戦争中にあって、花はどうでもよいものである。
すべては勝つために、他のことを犠牲にしてきた時代である。
食糧や武器にならないものは意味のない時代であった。


 すなわち、「美」という文化的な価値が否定された時代でもあった。
 美しい服、お化粧なども否定されたはずである。
絵画を楽しむということも否定されたであろう。
美というものがいかに忘れ去られていた時代であったかがわかる。


 その美の象徴であるコスモスを見て、食べ物でないコスモスを見て、ゆみ子は
キャッキャッと足をばたつかせて喜んだ。
 お父さんは、ゆみ子は食べ物しか興味がないのかと心配をした。
心貧しい人間になるのではないかと不安であった。
その不安を払拭してくれたのが「コスモスの花」を見て喜ぶゆみ子の姿である。
 


戦争になっても人間の本質を奪い去ることはできない。
食べ物や生活を奪い去っても、人間の美に対する気持ちは奪い去れない。


「一つだけのお花、大事にするんだよ。」
 傍らにいる妻に対して聞かせているせりふである。
 夫婦にとって大切な子どもである。
たった、一つの花、命であるゆみ子を大事にしてくれよという思い。
 お父さんが実際にそのような気持ちでいったかどうかはわからないが、読者として、そのように読むこともできるだろう。


5場面 最後の場面


とんとんぶき
瓦をのせなくてはいけないのだが、それまでする余裕がないという状況を表している。
コスモスの花でいっぱいつつまれている。
貧しいながら、どうにか一軒家に住んでいる様子がうかがわれる。


「小さな家は、コスモスの花でいっぱい包まれています。」
お父さんの心を受け継いだお母さんの気持ちが表れている。
コスモスはお父さんの心の形見として描かれているようだ。


「ミシンの音が、たえず速くなったり、おそくなったり、まるで、何かお話しているかのように、聞こえてきます。」
お父さんのいなくなったあと、お母さんの苦しく、悲しく、つらい思いで生きてきた歴史。
ミシンの音の中にこめられているような気がする。


「お肉とお魚とどっちがいいの。」」
食材を選べるようになった幸せが感じられる。
「買い物かごをさげたゆみ子が、スキップしながら、コスモスのトンネルをくぐって出てきました。」
日曜日・・・小さなお母さんになって


明るく、ほがらかで、けなげな姿が見えてくる。
日曜日、お母さんは働いているのだろう。
そのお母さんに代わって、けなげに働いているゆみ子の姿がある。


ここまでをまとめます。
対比する見方・考え方
戦争中、空襲  すべてのものが灰 。  
ゆみ子の家もやけたけど、今では とんとんぶき
配給制度 かぼちゃ、いも だったけど、今では、お肉かお魚か
ばくだんの音がミシンの音に変わる。
わすれられた一つの花、コスモスから、コスモスの花でいっぱいの庭。


戦争が終わって失ったものは、かけがえのないお父さん。
変わらないものは、お父さん、母さんの、ゆみ子に対する愛。
愛する心は変わらない。


戦争文学とは戦争の非人間性を告発するという本質を持っています。
私は、戦争の非人間的な出来事については納得します。
しかし、私がこの作品で感じたことは次のようなことです。
どんなに逆境にであっても、人間が粘り強く、たくましく生きることができること。
人間って素晴らしいものだという強い主張が表れているように思います


指導にあたっての留意点


戦争否定とは、現実の日常生活の中の事実の中に描かれています。
ややもすると、この作品を戦争否定に重点をおいて、物語文の特質を破壊していることがあります。
「戦争になるとこんなにひどいことがおこるんだよ」


 文全体に流れている主題を追わずに、やたら戦争に関する言葉をあげます。
戦争否定を前面に押し出す指導が目につく授業があります。
指導者が戦争否定論を長々と付け加える授業もあります。


子どもが、まずは、描かれている出来事を拾います。
戦争という条件下で制約を受けた出来事であるということ。
全文を読みとおしたあとに、子どもたちが、戦争について自分なりの感じ方をすればいいと考えます。
指導者が戦争を結論づけしないようにします。


大切なことは、読み手である子どもたちを目撃者の立場に立たせて戦争体験させることです。
言いかえると、作品世界と読み手とをかかわり合わせることがポイントになります。
ですから、指導の最初に、戦争否定を先生が強調しないようにします。
それぞれの子どもたちが、じっくりと読み深めることで認識するものだと考えます。

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