教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想  535回  3年国語教材「まいごのかぎ」 教材研究の最初 後半

前回の続きです。


第五場面 バスの時刻表のかぎあな


「バ」の点が三つあり、その一つがかぎあなに見える。
「どうしょう」と迷うりいこ。
よけいなことはやめようとお魚の時に思ったばかりである。


「これでさいごだからね」といいわけをするりいこ。
せのびしてかぎあなにかぎをさしこむ。
いつも自分の想像する世界を広げようとするりいこ。
今までの自分の失敗に引きずられないりいこの勇気。


ところが何も起こらない。
よかった、よけいなことをしなくてよかったとほっとするりいこ。
でも、何もおこらないなんてつまらない、期待したのにとがっかりするりいこ。
ここは、りいこの人間的な本音が見られる。
何かがおきると期待して、さしたかぎが今までのような反応がなかった。


あっ」・・・ありのように動く数字
すごい」・・・とんでもない到着時間になる。
好奇心で目を輝かせたとたん、またよけいなことをしてわくわくした自分がいやになる。好奇心に従って行動したあとの後悔。
あれ。どうして。」・・・時こく表の数字は元にもどらなかった。
感嘆詞のなかに、りいこの気持ちが端的にあらわれている。


時刻表のあまりにも大きな変化に戸惑うりいこ。
りいこはこわくなってにげるようにかけだしました。
国道にでると
バスが十何台も、おだんごみたいにぎゅうぎゅうになってやって来る。


私のせいだと後悔するりいこ。
立ちすくんでしまいました。」



「きみょうなことは、さらにおこりました。」
クラクションをがっそうするように鳴らす
リズムに合わせて、向きや順番を変えてダンスをする車。
後悔した気もちはどこかに行ってしまった。



なんだか楽しそう


はっと気づいたのです。」


みんなもすきに走ってみたかったんだね。」
さくらの木はどんぐりを実らせて遊びたかった。
ペンチは、公園の真ん中で寝ころびたかった。
あじのひものは青い空をとびたかった。
バスは、好きに走ってみたかった。
りいこは、どのように思ったのだろうか。
よけいなことを後悔したのではなく喜びに変わっていったのではないだろうか。


消したはずのうさぎが、うれしそうにこちらに手をふっている。
りいこもうれしくなって、手を大きくふり返した。。
いつまでも、その手をふりつづけていた。
ここは、よけいなことを後悔していたりいこが立ち直っていくところである。


りいこは現実の世界をファンタジーの世界に変える好奇心がある。
自分の想像力を広げていく豊かさがある。

かぎあなにまいごのかぎを差し込む勇気がなかったら、気づくことはなかっただろうりいこのよけいなこと。
よけいなこととは「好奇心」である。


桜の木もベンチもあじのひものも、そして、バスも自分のしたいように動いた世界。
それは、まいごのかぎがりいこの手に渡ったときに実現した


さわやかな楽しさ、ぷっと笑ってしまうような楽しさ、わくわくする楽しさ。
想像力を広げていくことで楽しい世界も広がる。


ここまでが、教材を読んだ初発の感想です。
これから、この感想が読み深めるにつれて変わっていきます。


そして、指導の方向性が少し浮かんできます。


指導の角度
〇りいこの心の動きに寄り添いながら読み進められるようにする。
〇そのためには、りいこの言葉と行動描写をていねい取り上げる必要がある。
〇「語彙をふやす」という目標があるが、言葉の示すところを具体的に想像できるようにする。
〇りいこに寄り添いながら、時には、りいこから少し離れたところで行動や性格を考える
 ことが大切である。



◎次のりいこの言葉や様子を取り上げていく。
1場面・・・「まさか、ね」「あっ」「びつくりした」
2場面・・・「でも、もしかして」「わあ。」
3場面・・・「へんだと思いながら」「いつしかすいこまれるように」「あっけにとられて」
「やっぱりよけいなことばかりしてしまう」
4場面・・・「どうしょう」「これがさいごだからね」「あっ」「すごい」「あれ。どうして。」
         「立ちすくんでしまいました」
           「なんだか楽しそう」
 「はっと気づいたのです」
 「みんなも、すきに走ってみたかったんだね。」
「いつまでもその手をふりつづけていました」


一時間の指導構想が子どもたちの笑顔を想像することで浮かんできます。
教材の最初において、指導者自身が自分の感覚で受け止めることが大切です。
ずくに、参考書を頼ってしまうと、自分自身の思いや感覚を見失ってしまいます。
やがて、参考書などを見ながら、自分の感じたこと、考えたことを修正していきます。


このことは、理科、算数、社会においても同じようにします。
それが、「まず、教科書を読む」ことです。
読んで、自分の疑問、感動を見つけるようにします。
おもしろそうだ」と思うまで繰り返して、教科書を読みます
指導者がおもしろいと思うまで、子どもの前に教材をだしてはいけません。
指導者がおもしろくないものを子どもがおもしろいとは思わないからです。

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