教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 520回 子どもたちの闇・・・

かつて、小学校6年で担任した子どもからメールがきました。
彼女は、中学2年生になっていました。
メールの内容は「先生、話を聞いてください。」の一言だけでした。


私は、すぐに、放課後、彼女を学校に呼びました。
くたびれたような、覇気のない表情になっていました。
彼女の話は次のようなことでした。


「両親は、あまり仲がよいとは言えなかった。
父親は、夜、遅くに帰ってくる。
日曜日も家にいない。
そのようなことが何カ月前から続いている。
あるとき、父親の車のトランクから女性の持ち物(母親のものではなく)を発見した。
ショックだった。
父親の不倫を見つけてしまった。
その日から、すべてのことに不信感を抱くようになった。」


彼女の家庭が崩壊しているようでした。
彼女の相談は、上のことではなく、次のことでした。
「私は、いろいろな人とメール交換をするようになった。
なんとなく寂しかったのだと思う。
私は、いろいろな人に成りすましてメール交換をするようになった。
小学校の生徒、高校の生徒、大人の女性・・・・。
相手は、すべて男性であった。
そのなかの相手から、会いたいという連絡が来るようになった。
会わないほうがいいとは思っている。
でも、会いたい気もする。
私が、自分を偽ってメールしている相手だという。
こんな自分を先生はどう思うのかる」


私にとっては、衝撃的な内容でした。
しかし、彼女の家庭で起こった内容は、小学校の時の彼女から考えるとわかるような気もしました。
彼女は、小学校6年で最初に出会っててから、上から下まで黒い服装ばかりでした。
彼女に理由を聞くと、「なんとなくかな」と言ってましたが、やがて「私の心の中も黒だから」というようになってきました。


どうしょうもない寂しさが彼女から感じられました。
そして、今回の話しを聞いて、やはりそうだったのかと思いました。
家庭の事情については、私から何も言えません。
でも、彼女の愚痴を聞くことだけはできました。
その後、数カ月ほど放課後に来て、愚痴をこぼして帰っていきました。


子どもにとっての家庭、親の在り方を考えさせられました。
家庭という集団、集団の生活のなかで育まれる心。
人間は、集団のなかで育てられます。


やがて、彼女は言いました。
「私だけではないんですよ。友だちも自分を偽って、いろいろな人とメールでつながっています。裏でつながっているんですよ。寂しいから・・・」


家庭に問題を抱えた子どもたちは多いです。
朝食を毎日食べさせてもらえない子ども。
家では、失敗すると暴言をはかれる子ども。
学校生活には無関心な親をもつ子ども。
母親は身なりがいいのに、子どもは、破けた服を着ている子ども。


一つ一つには対応できません。
それでも、家庭に求められているはずの温もり。
その温もり、家庭的な雰囲気のある教室づくり、学級づくりをしたいものだと考えました。
温もりのある集団は、子どもたちの情的な面を育てます。
知的な場としての教室。
情的な場としての教室

厳しさと温かさの両面のバランスが大切なのです。

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