教育随想 491回 名人・達人の授業者の実践を追わない
教育界には、過去において優れた教育実践家がおられました。
有名な実践家の書籍を読み漁ったり、授業参観に伺ったりしました。
あこがれからスタートして、やがて、その実践家の先生を目標としました。
おそらく、先生方も程度の差こそあれ、どこかで自分のお気に入りの実践家、教育者をもっているのではないでしょうか。
やがて、その先生の所作や口調が似てくることがあります。
私は、教育実習に指導担当であった先生について、何十年も学びました。
年に何回か、授業参観に足を運びました。
先生の自宅に、月に一回程度お邪魔して話を伺いました。
私の居住地域から、車で4時間程度かかりました。
冬になるとチェーンをつけて伺いました。
私の教育の実践家としての方向を示していただきました。
その他にも、全国を飛び回り優れた実践家の授業、研究会に参加させていただきました。
書籍だけでなく自分の目で確かめたいことが多くありました。
ここで大切なことがあります。
優れた実践家の技術を自分の教室に持ち帰って活用しないことです。
少なくともそのまま、加工することなく活用しないことです。
それよりも、私が先生方の授業を参観させていただいて、「この技術は先生のどのような生き方、考え方から生み出されたものなのか」ということを考えるようにしました。
技術の枝葉を持ち帰るのではなく、技術の源、根っこ、指導者の生き様を捉えるようにしました。
優れた先生の書籍を読むことの弊害があります。
それは、その先生の実践に魅了されて自分の実践や考え方を捨ててしまうことです。
自分のしてきたことを捨ててはいけないと思います。
それは、私の人生、生きてきた経験や考え方が根底にあるからです。
私でしかできないことがあるからです。
そのうえにたって、優れた先生の実践を参考にすることが大切だと感じてきました。
個性ある先生は、そこから生まれてきます。
実践家は、自分の道を歩きながら、他者の道(実践内容)を横目で眺めます。
そして、自分のしてきたことを問い直す参考にします。
独善に陥らないための方法です。
耕されない畑に、どのような花や野菜を植えても育ちません。
しかし、自分の畑をたえず耕して、風通しのよい状態にしておくと、どのような苗を移植しても成長します。
いい苗だから成長するのではなく、よい土、畑がその苗を大きく、たくましくするものです。
先生は、自分の畑を常に耕しておくようにします。
先生は一人一人が個性的な職人です。