教育随想 467回 道端にころがる教育の結果
私の近くに中学校がと小学校があります。
私が散策する時に、時々、通る緑道があります。
そこで、まれに、中学校の陸上部の生徒が短距離走のタイムを計っています。
20人程度の生徒がペアになって全力疾走しています。
時々、お年寄りや幼い子供たちも通ります。
たいていの場合、生徒はよけるようにして走っています。
ぶつかることはないのですが、やはり、危険だと感じています。
ある日、私は、その緑道の中に入りました。
そこには、走り終わった生徒が疲れて緑道に寝転がっていました。
中央に寝ています。
私は、端のほうに避けて通りました。
すると、生徒から「こんにちは」という声が聞こえてきました。
寝ながら、あおむけになったままの挨拶でした。
その横に指導者らしき先生も「こんにちは」と挨拶されました。
この実態は今に始まったことではないようです。
他の地域の人々も体験しているようです。
緑道という公道で練習していることで、他の人に迷惑をかけている意識が薄いように思いました。
自分たちは、一生懸命練習しているところを見てもらっているんだという表情が見えました。
指導者である先生は、道の真ん中で寝ている生徒を指導することはありませんでした。
その中学校には、道路沿いにテニスコートがあり、部活動が毎日行われています。
遠くからでも生徒たちの声が響いています。
その声を聞くだけで、指導者が不在かどうかがわかります。
指導者がいる時は、生徒の声は運動に関する内容がほとんどです。
しかし、不在の時は、声だかな叫び声が発せられ、冗談を言い合っています。
練習風景を見ても、真剣さは感じられませんでした。
どこか食べ物のコマーシャルで「ある時・・・ない時」の様子が急変するものがありますが、それによく似ています。
私は、その中学校のホームページにアクセスしました。
めざす四つの人間像があげられていました。
誠意を持ってやりぬく人
自他を大切にする人
進歩と真理を求める人
心身ともにたくましい人
この目標をみて、私は感じました。
他者に対する誠意がありません。
他人を大切にしていません。
進歩どころか後退です。
心のたくましさはありません。
目標と現実の子どもたちのずれが大きいです。
その学校に誰が足を踏み入れても、その生徒、児童を見れば、学校目標がなんとなく感じるものです。
私が目にする事実はほんの少しです。
それだけで、学校教育全体を判断するのはよくないと思います。
学校での教育への道は、常に、指導過程だからです。
しかしながら、一つの事実から学校全体の指導を推測できることもあります。