教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 459回 特定の子を追うと つながる子が見える

今は、教育を深く、鋭く示唆される先生が少なくなってきました。
私の若い時代には、本当に素晴らしい先生がご自分の理論や実践を展開されていました。
私は、全国を飛び回り、優れた先生がおられると、その先生の研究会に足を運びました。
私は幸せでした。
素晴らしい理論と実践に出あえた喜びを感じていました。
私が勝手に師と仰いだ先生は10名をこえます。
今日は、その中で、上田薫先生の文章を紹介します。


当時、「追う子」の授業実践研究会が開かれていました。
私は、実際に静岡県まで出かけ授業を参観させていただきました。
上田先生は大学教授でしたが、現場の先生を指導されていました。
そして、各地で研究会を開かれていました。


上田先生は、京都大学の哲学科を卒業され、名古屋大学、東京教育大学、立教大学で教鞭をとられました。
教育における人間形成の問題を研究され、現場では社会科教育を指導されていました。
先生に関心をもったのは、教室の一人の子どもだけを追いかけて観察することを提案されていたからです。
それで、研究会に出かけたり、著作集を読ませていただきました。
先生の追う子について書かれた文章を紹介します。



・・・少数の子どもに着目せよ。
多数の子どもはどうするという反論もあるが、これは浅はかな考えである。
学級のなかで少数の子どもが隔離されているわけではない。
全体の子どもが、関わり合い比較されて生活しているのである。
どの子も平等に見なければという気持ちが不自然なのである。
その特定の子どもを手がかりの拠点として学級全体の様子もわかってくるものである。
よく教師は「ひとりひとりの子どもを・・・」といって、一斉的な取り扱いしかできない。
「全体の子どもを・・・」といっても一人の子どもを理解することもできない者が多い。
手段、方法、考え方、理論、実践すべての面において欠けているのである。
一人一人を生かすというのは、子どもではなく、教師自身が動くことである。


〇目をその子どもから離して観察する。
  一つのことを見続けていると深くみることができなくなる。
〇身体の力を抜いて柔軟な姿勢で観察する。
既成のわくにとらわれないで観察する。
子どもの表情一つでも、単なる決めつけ、思い込みではなくて、どれほどの理解ができるが教師の力量である。…以上・・・・・・



特定の気になる子どもを観察していくといろいろなことが見えてきます。
たとえば、おとなしくていじめられやすい子どもを観察対象にするとします。
その子に強い態度で接する子ども。
やさしくかばう子ども。
遊びに誘って一緒に行動する子。
勉強の時、声をかけてサポートする子。
班の活動でその子を無視する子。
授業場面で、その子が発言している時の周囲の子どもの表情。
私がその子にせっしている時の周囲の子どもの反応。
掃除、給食の時、その子と周りの子どもとが関わる時の様子など・・。


学級のそれぞれの子どもが、その子にどのように働きかけているかを観察すると、今の学級、集団の状態が見えてきます。
二週間ほどでいいですから、続けてみると今まで見えない人間関係が見えてきます。
特定の子どもは、二週間ごとに変えていきます。
時には、暴力的な子どもを観察対象にします。
学級の構造がみえてくることがあります。

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