教育随想 457回 指導性の低下は 「自分にでもやれる」という有能感を生む
前回、先生の指導性の低下についてお話しました。
先生が指導することを限りなく控えていくことです。
指示言葉を極力減らすことです。
指示したら黙って見守ることです。
今の子どもたちなら、ここまでは自主的に学習を進めるだろうと信頼することです。
信頼したところまで進めることができなかったら、先生が前に立てばいいのです。
学び方を修正、付け加すればいいです。
算数は、一番早く自主的な学習に導くことができる教科です。
チャイムがなって、子どもたちは今日の課題を見つけて独り勉強をはじめます。
そのあとは、班学習を使って自力学習の検討を行います。
班で解決できない問題を全体学習の場に問題提起します。
そして、全体で考えます。
高学年ならここまでできます。
先生は、子どもたちの学習状況を把握します。
子どもたちが行き詰まったら「先生、僕たちの勉強に入ってください」という言葉がでます。
そして、先生は助言をします。
最後の結論は子どもたちに任せます。
独り学習、班学習、全体学習のどれかを選びながら子どもたちが学習を進めることができるようにするのが一年間のあゆみです。
どのような時に班学習を活用するかを指導しておきます。
班学習においても、班員のすべての考えを参加させる工夫をしています。
決して、一人の子どもの独占にならないようにします。
さて、先生が授業、学習を子どもたちに任せていくと、「私たちでもできる」「私もできる」
という有能感を持たせることができます。
自分たちがわかるまで、納得するまで時間と場が与えられているので、よくわかるようになります。
先生の話を聞いてわかるのではなく、自分のわかりにくさを前面にだしながらわかります。
わかり方の質が違ってきます。
わかるは、「わからない」というトンネルをくぐりぬけて「わかる」ようになることが大切です。
教えてもらって「わかる」は、「わかったつもり」がほとんどです。
そのあたりを先生がていねいに指導するようにします。