教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 437回 中学年の学習指導  見つける 気付く なしとげる

中学年の子どもたちは、一旦、興味関心をもつと身を入れて学習に取り組みます。


国語の暗唱指導
物語文を読んでいくとき、一時間分を暗唱させてから読みの学習に入ります。
最初は、嫌がる顔をする子もいますが、1ページの文章を覚えきると自信がわいてきます。
そうすると、家で次時の文章を暗唱してきます。
全員ができる必要はありません。
関心をもった子どもだけでいいのです。
その子は、教科書を閉じて学習します。


社会科は、資料を活用することが多いです。
たとえば、教科書に掲載されている一枚の写真(中心資料)から、どれだけの情報を得ることができるかを競争します。
写真を見て、見つけたこと、わかったこと、わからないこと、もっと知りたいことなどを、ノートに箇条書きにして番号を打たせます。
子ども同士でいくつ見つけられるかを競争させます。
毎時間、これを実施していきます。
見つけた情報の数を競争させると、資料を隅々まで見るようになります。


最初は、競争で始めたことが、少しずつ、資料を読み取ることが楽しくなってくるのです。
資料は、先生が説明するよりも、子どもが主体的に見つけるのがいいです。
社会科において、高学年になると資料収集の活動が入ってきますが、中学年は、資料から情報を得る力を育てます。
子どもたちは、写真ができるようになったら、グラフや表、図の読み取りをします。
写真は、どの子も入りやすい資料です。


理科の観察で野外に出ると、植物観察だったはずなのに、目の前に現れた虫を追いかける子どもがいます。ほほえましい姿です。
身体を投げ出して虫を追いかける姿を認めます。


読書に夢中になれるように指導します。
読書の好き嫌いは、子どもたちの幼い時からの環境に左右されていることがあります。
入学前から、保護者に読み聞かせをしてもらっている子どもたちは、図書室に入っても意欲的に本を選び読書に夢中になります。
しかし、多くの子どもたちは、意欲的にならないことが多いです。
まして、昨今では、活字文化よりも映像文化にひっぱられている傾向にあります。


本を読むことの意義は先生方もよく知っておられます。
私が読書を通して子どもたちに求めるのは、「文字から映像を想像する力」です。
物語の世界の中に入りこみ、自分の心を通して物語を映像化することです。
もちろん、物語だけでなく、科学的読みもの、伝記文などにも興味を持たせます。


毎日、朝の時間を活用して読み聞かせをします。
先生自らが文字に描かれたものをていねいに読み聞かせします。
子どもたちの環境によって異なる読書体験を、少しでも平均化するところから始めます


「おもしろかった本の紹介」を先生だけでなく子どもたちも参加します。
本の題名、作者を紹介して、自分の一番おもしろかったところ、1,2ページ程度、朗読してもらいます。
読んだあと、「私の本を読んで読みたい人はいますか」と尋ねます。
本を紹介して朗読した子どもは、何人の友達を誘うことができたかに力をいれます。
そのために音読練習に力を入れます。


図書室に子どもたちを連れていきますね。
何分で子どもたち全員が本を選択して席に座って読み始めるでしょうか。
読書に興味を持つと、その時間が少しずつ短くなります。



楽しい学習に出合うと、子どもたちからつぶやきがでてきます。
みつける・・・「あれ、どうしてかな」 「わかるようでわからん」「すごいことを見つけたぞ」
気づく・・・「そうか」「やっぱり」「なるほど」「そういうことだったのか」
「また、わからなくなったぞ」
なしとげる…最後まで根気よく続けられるようにする。「やったぞ」「がんばったなあ」


中学年の子どもには、マラソンで言えば、先生が子どもの横で伴走することが必要です。
一緒に行動し学びます。
距離を縮めて伴走、距離を離して伴走します

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