教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 348回  算数は 迷う能力を育てる

自力解決学習と対極にあるのが、先生中心による説明型の授業です。
先生が教科書を中心に説明して、子どもたちに類題を解くように指示していく授業は、いつのまにか、子どもたちに受け身的な学習習慣を身に着けさせることになります。
そして、先生が解き方を懇切丁寧に指導すれば指導するほど、子どもたちの自力解決への道は閉ざされていきます。
今、算数ほどお手軽に教え込むことができる教科指導はないでしょう。
教科書を順次すすめていけば、先生でなくても誰にでもある程度は指導できるからです。


受験の数学を学ぶとき、解法の例題があって、その基本テクニックを覚え、類題にあてはめていく勉強をしたものです。時には、なぜ、そのように解くのか、その理由がわからなくても、解法のパターンに従えば解決するので、とにかく、パターンを覚えることに集中した記憶があります。
私のように、進学するにつれて、数学が苦手になってしまった人間にとっては、数学は、自力解決などは、程遠いものでした。


しかし、大人になって、時間がたってから、高校数学の勉強を始めました。
よくわからなかった微分積分のイメージ、概念がわかってきたのは、あとのことでした。子どもたちに算数を教えるためには、私が数学に強い関心を持つ必要があると考えました。
今も数学の勉強を続けています。少しずつ問題を解くのが楽しいのです。
ヒントや解法を参考にしないで、問題に向き合って、能力の低い私が迷いながら解決していくのがなんとなく楽しくなりました。問題によっては、何日もかかるものがあります。


その時に、解決にあたって考えることは、既習事項の何かを使えないかということです。どこまでわかって、どこがわからないのかを確かめながら、進んでいき、どうしても解けない問題はヒントを見て考えます。
ヒントを見て「あっ、そうだったのか」と思うのですが、なんとなく自力で解決したことにならないので、すっきりした感じがしません。


そのような時に、ある数学者が「数学は迷う能力を育てることである」と言われたことに出会いました。
私が、数学に限らず、問題解決のためにどれだけ迷っているか、さらに、迷っていることに耐えられるかということでした。
自力解決というのは、解決するまでにどれだけ迷ったかということだと思いました。
やがて、大学の受験参考書をやり直し、時々、大学の入試問題にも取り組みました。これは、解決のためのものではなく、自分で迷うためのものでした。一題に時間をかけて、いろいろなアプローチを試みることが、迷うことそのものが楽しいのです。
私は一生、数学から離れられないような気がしています。


前置きの話が長くなりました。
算数の学習は、先生が丁寧に説明すればするほど、子どもたちの学習習慣は受け身になります。まず、自分の頭で迷いながら取り組ませるようにします。
その迷いの時間に耐えられる子どもに育てたいと考えました。


教科書を参考にしないて゜、まず、問題を与えて取り組ませます。
その時に、「見通しを立てる」ことが大切になってきます。
子どもなりに、解決の方向が見えないと動けません。
今まで学習したことで使えないものはないかを考えさせます。
算数は、系統学習ですので、既習事項で活用できるものがあります。
今まで学習した問題とどこが違うのか。
計算でいえば、既習学習した計算とどこが違うのか、前に習った方法が使えるのかを考えさせます。それが見通しをもつことです。


まず、問題を自力で取り組ませます。
そのあとで、教科書を参考にしたりや先生が解説したりします。
さて、ここで問題になるのは、子どもたちの能力差です。
自力といっても、得意でない子は困ってしまいます。
特に、そのような子どもほど、受け身的な学習習慣を身につけてきました。
したがって、少しずつ、ヒント、助言をしながら、個別的に関わっていく必要があります。類題をすべて解かせるのではなく、その子の解決時間(1題あたりに要する思考時間)に合わせて、問題を選択させます。


かつて、私は、学年を解体して、能力別の算数教室を実施したことがありますが難しい問題がでてきましたので、何カ月かで中止しました。
学級を解体して、算数の能力の近い子どもで学級を編成しなおし、能力にあった指導計画を立てて指導しました。脱落する子どもは少なくなりましたが、別の問題がでてきました。
能力別に編成されているという優越感、劣等感が子どもたちの間に生じてきました。また、指導の先生による進度の問題があって中止しました。
ある程度予測されたことですが、先生側の指導の都合で子どもたちを分別することは好ましいとは言えませんでした。


算数は、見通しがないと意欲が低下します。渋滞に出合い原因がわからないと、渋滞を抜け出る見通しがたちません。それとよく似ているところがあります。
できない子どもたちは、問題を前にしても、どこから、どのように考えていったらいいのかわからないのです。
そのためには、いきなり教科書を子どもたちから離すのではなく、教科書に書かれている考え方を読み取ることから始めます。考えの進め方になれたら、教科書を離して見ます。子どもの実態を見ながら進めていきます。
もちろん、内容によっては、最初に先生の説明があって、そのあと子どもたちを自力解決の世界に放していきます。


こうして算数が少しずつできるようになった子どもは、他の教科学習においても、意欲的な姿勢を見せるようになります。
自力解決学習の「自力」とは「迷う能力」です。
迷いの中にどれだけ身を寄せることができるかです。
もちろん、指導者のきめ細かいサポートが必要であることは言うまでもあり

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