教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 346回 給食指導も 個人を把握することから

給食指導においても、食事の「早い子」や「遅い子」に対して、指導を抜きにして「早すぎる」「遅すぎる」と切り捨てにする光景に出合います。ある学級では、給食終了のチャイムがなると、まだ、食べている子どもがいるのに、清掃の準備をするために、机を後ろに運びます。給食の遅い子は、運ばれた机の間で食べています。これは、まれな光景かもしれませんが、そのように扱われた子どもは、給食の時間は恐怖でしょうね。


給食の遅い早いは、それぞれの原因がありますが、指導で矯正できる場合とできない場合があります。
遅い子どもを観察していると、話しながら食べている子、献立の好き嫌いで食べる早さが違う子、一口に入れる量が少なすぎる子、その日の気分によってむらがある子など、子どもによって状況が違います。
私は、食べることで、子どもたちに制限を加えるのを好みませんでした。食べることは、人間の根幹に関わるからです。
ですから、給食の準備時間を短縮することで、食事時間を確保するようにしました。


しかし、指導者が観察しておくことがあります。
好き嫌いの有無、残菜の有無、食べ方の様子、箸の使い方(家庭での躾の問題)
などを把握します。
そして、何よりも大切なことは、教室の雰囲気です。
子どもたちのエネルギーが大きくなってくると、残菜が減ってきます。
活気がなくなってきた教室は、残菜が目立つようになります。
和やかな教室のなかで食べる食事はおいしいものです。


ちなみに、食事の時、班の子どもたちの一緒に食べるようにします。
そうすると、食事の時にしか聞けない子どもたちの本音がでてくることがあります。
社会では、人同士が親しくなるために会食をすることが多いです。
給食も同じで、お互いが近づくための空気を育てます。

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