教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 305回 緊急事態を迎えて 教育努力目標の見直しを

学校再開が地域によって異なっています。
マスクをかける人が急に増えてきました。
社会の底に流れる一抹の不安が見え隠れします。
人間のあり方が私も含めて問われる時です。


さて、学校が再開されて新年度に子どもたち(生徒)を迎えます。
先生として、これからの一年間をどのように教育していくのかを考えるとき、今までと同じようにはいかないはずです。
教育目標の反省のときに、「まだ達成していませんので昨年度に続いて掲げます」というわけにはいかないでしょう。


なぜなら、学校という枠組みから解き放たれた子どもたちの様子をみる限り、教育の課題が自ずと表れてきていると思います。
家庭においても学校においても、そして、地域においても見えてくるものがあります。地域で浮かび上がってくる子どもたちの実態を把握して新年度の教育努力目標を作り直します。


私は、今までの授業の理念でもある個人と集団のあり方の問題を求め続けていたことが、やはり重要だと改めて思っています。
それは二つです。


一つ目は
個人の問題として「自学自習」「主体的な学び」です。
宿題がだされなくても自分で課題見つけて学べる子どもたちを育てることです。それを日々の授業の中で「学び方学習」「主体的学習」を通じて身につけられるようにします。
課題とその見通せる子どもたちを、日々の授業実践を通して具現化します。


二つ目は
個人と集団(社会)のつながりです。
集団のなかで、自分も仲間も思いやりをもって大切にする子どもたちです。
子どもたちを迎えた時に尋ねてみてください。
・・・みなさんはどちらですか? 
   感染しないようにする。
   感染源にならないようにする。
結果的には、どちらも感染しないように努力することです。
しかし、感染源にならないという意識は、集団、社会を意識しています。
自分も大切にするが、仲間も大切にする心です。
釈迦の言葉です。
「自分よりも愛おしいものはない。同様に他の人々にも、自己は愛おしい。故に自己を愛するものは他人を害してはならない。」
自分だけ助かりたいと思う気持ちはだれにでもあるものです。
同時に、その気持ちは他の人も同じです。だから、その気持ちを大切にしなければならないということです。


感染源にならないという気持ちは、自分も友達も大切にしていくという営みです。「公民的資質」です。
このことを授業やその他の教育活動を通して育てます。
学校は、緊急教育目標、指導目標を掲げる必要があると思います。
少なくとも前年度のままでよしとするのはどうなのでしょうか。

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