教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 27回  集団の空気に支えられて 学ぶ  

 近所に行列ができるラーメン店ができました。
 新しいものには目がない私は、その店に行ってきました
食券を買ってから細い通路を通り、のれんをあげるとカウンター席がずらりと並んでいます。
席は、両側はついたてで仕切られており、食事中の様子が見えないようになっています。前は、小窓になっていて、店員が注文を聞いてくれます。でも、店員の顔は見えません。ラーメンの器を持った手だけが私のカウンターの中に入ってきました。


私は、注文したラーメンを黙々と口に運びました。仕切られたスペースは、狭いものです。話し声もほとんど耳に入ってきません。ラーメンの汁をすする音だけが聞こえてきます。食べ終わって店員と顔をあわせることなく店をあとにしました。廊下には、食事待ちの人が十数人一列に並んでおられました。
ここまで書くと、読まれた方は店の名前が浮かんでくると思います。


私は、店を後にしてから車の中で考えました。
なんだろう、この物足りなさは。なにかしっくりこないものを感じていました。
他人を気にすることなく食べられるということ、注文から品物が運ばれてくるまで、とても効率的で早いということが、この店の売りなのでしょう。もちろん味も。
しかし、私は、食事をすませたというより、えさを食べに入ったという感じがしました。


 食事というのは、店全体の雰囲気を感じながら食べることで、落ち着いた気持ちになります。そして、店員や店内の環境に支えられて、さらに気持ちよく食事をすることができます。


 しかし、この店にはありません。食べたらおしまい、ゆっくりと水を飲んで休憩する雰囲気がありません。食べたら、さようなら、背中を押されて出てきたという感じがしました。
 誤解のないように言いますが、決して、この店がよくないというのではありません。一つのコンセプトのもとに経営されている画期的な店だと思います。


食べるというのは、その場の空気も一緒に食べます。周りの人がおいしそうに食べている顔を目の中に入れながら、自分もラーメンのおいしさを共有しています。
集団で食べる。集団の中で集団の空気を感じて食べる。
孤食ではなく、集団の雰囲気に支えられながら食べることで、いっそうの食欲が生まれてくるのではないでしょうか。



 学習も同じです。個人学習と集団学習。
一人だけで学習することは楽しいです。でも、集団の中で一緒に学習するとき、個人で学習する場合とは違った楽しさもあり、仲間に刺激されて学習意欲が生まれてきます。
みんなで食べたらおいしいね、みんなで勉強したら楽しいねという空気がほしいものです。それは、学習の空気を共有できる楽しさがあるからです。


スポーツジムの例を出します。
私も通っていましたが、今日は、なんとなく意欲がわかないなあと思っていても、ジムの玄関をくぐると、運動している人たちの熱気に包まれてしまい、自分も頑張ってしまうことが多かったです。


教室の空気、友達も頑張っているという空気の個人に与える影響は大きいものがあります。
個人学習だけでは得られない力とは何でしょうか。
集団学習、小集団学習の空気とは何でしょうか。

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