教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 253回  視覚的理解よりも感覚的に子どもを捉える

三学期が始まっています。
冬休みを過ごした子どもたちと出会います。
夏休みでも同じですが、長い休日のあと、子どもたちに久しぶりに出会うと、2学期末とは違った印象を受けることが多いです。
子どもたちと2週間ぶりに出会います。
たった2週間ほどの時間ですが、子どもによって2学期とは違った印象を持ちます。


少し大人びたような子ども
どことなく寂しさが前面に出ている子ども
今までとは違った波長が出ているように思える子ども
明るい雰囲気を感じさせる子ども
すべての子どもたちを見た目でとらえるのではなく、感覚的に捉えます。
直観といってもいいでしょう。


この直観によって子どもたちを捉えることで、どうして、その子に対して、自分はそのように感じるのかを考えます。


どことなく寂しそうに感じた子ども。
最初の感覚を大切にします。
子どもからプラスの波長がでているときと、マイナスの波長がでているときがあります。
どうしてそのように感じたのかという感覚を出発点として、子どもの表情、身なり、話しぶりや歩き方などを観察します。
そうしていくと、今までとは違ったことが見えてきます。



笑っているから明るいとは言えません。
視覚的には笑っていますが、どことなく感覚的にさみしさが伝わってくることがあります。笑いは、その子の内面を隠すこともあります。
こうした先生の感覚を大切にして磨いていくことが必要だと考えます。
そんな目に見えない不確かなことにこだわるのは意味がないと言われそうですが、私の経験から言わせてもらいますと、子どもと接する入り口は感覚的な出会いです。もちろん、子どもも同じです。子どもは大人よりもさらに鋭い感覚をもって先生や大人をとらえます。
年齢が低いほどするどいですね。


理屈で考えるようになると感覚は鈍ってくるようです。
私が、子どもたちに教えてもらったことは、この感覚を研ぎ澄ますことです。
朝一番に職員室から教室に向かいますね。
そして、教室のドアを開けます。
この「瞬間の感覚」です。
教室に一歩踏み込んだ時の感覚が、今日の子どもたちをとらえています。


昨日と違って、今日は空気がよどんでいる
空気が重たいようだ
空気がはじけている、軽やかである。
教室の右側からいつもと違った波長を感じる
その感覚を一番大切にします。
重たい空気の原因は、天気、疲労、悩み、病気が原因だろうか。
視覚的にとらえなおします。


人間が理屈で人を眺めると、先入観をもつことになり、子どもの姿をうまくとらえることができません。


感じる世界は人にはわかりません。
他人に話しても、そんな馬鹿なという言葉が返ってきます。
目に見えないことは受け入れられません。
それでも感じるものにとっては真実なのです。


自分を無にすることで相手を感覚的にとらえることができるのは、先生の仕事をしていると身に備わる一つの力だと思っています。

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