教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 214回 学習に子どもを近づける? 子どもに学習を近づける?

「学習に子どもを近づける」


指導案どおりに授業が行われます。
少しぐらい子どもがわからなくても、自分の考えた案にしたがって学習が進められていきます。
これは、学習を中核に授業を進めるやり方です。
教材という列車に子どもたちを無理矢理に乗せて走ろうとします。
そして、「わかったね」「どうしてわからないの」という言葉で圧力をかけていきます。子どもがわかったかどうかは、言葉で確かめるものではありません。
子どもたちの表情を読みとればわかることです。


ある時、一人の女の子が言いました。
「先生、わかったね、と言われて、わかりませんといえる子がいると思いますか。」
その子の意見は私の心に引っかかりました。
このように先生列車に乗れない子どもたちはストレスをためていきます。
そうすると、学校外でガス抜きをします。
あるいは、専科の授業ではめをはずします。


「子どもに学習を近づける」


子どもたちを温かく包み込みます。
子どもの実態をしっかりと把握します。
能力や既習経験を把握して、そこから学習を進めます。
子どもを中核に授業を進めます。
先生としての学習プランはありますが、それは、授業の進行過程のなかにおいて、子どもの実態に応じて随時修正されていきます。
決して、理解をごり押ししません。
先生は、自分で調べたことや考えたことをすべて子どもにぶつけようとすることがあります。
しかし、目の前の子どもたちは、消化できないことがあります。
一歩引き下がって修正します。
学習の視点の変更、難易度の修正などを試みます。


前半の先生は、子どもに自分が準備したことを流します。教材を教えようとします。
後半の先生は、子どもの真意をキャッチしようと極度に発言を控えます。
子どもたちの観察に終始します。
教材を教えることよりも教材で意欲を育てることを優先します

×

非ログインユーザーとして返信する