教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 20回 先生の持っておられる感性を信じてスタートしましょう

ある先生がこんなことを言われました。
 「4,5月ぐらいまでは、力が入って子どもたちに関わるのだけど、6月ぐらいになるとダウンするように思う。」


この気持ちはとてもよくわかります。
4月の先生と子どもの姿は活気にあふれています。にこやかに挨拶を交わす先生と子どもたち。
運動場では、先生と子どもたちが笑顔で遊んでいます。
特に、先生は、子どもたちに「よい先生でありたい」という願いがあるのか、子どもたちの顔色を伺いながら行動しておられると感じることがあります。
ただ、一年間、なかなか続かいものです。仕方がないですね。


始業式の時の担任発表の様子を思いだしてください。
若い先生の名前が発表されると、子どもたちは歓声をあげます。
ベテランの先生ほど、「ええっ」あるいは、沈黙の空気が流れます。
もちろん、ベテランの先生でも歓声はあがります。
しかし、ここで考えたいことは、子どもたちは、先生の何に対して歓声をあげているかということです。
イケメンだから、美人だから、若いから、そして、やさしいからだという理由で歓声をあげているとしたら、先生の本業とは離れてしまいます。
それでもちょっぴり羨ましくもありました。


4月に活気のある先生と子どもが、1か月前の3学期の終わり、3月はどうでしたか。4月以上に活気がみなぎっていましたでしょうか。
4月は経験の浅い先生もベテランの先生も子どもにとっては同じ位置にあります。
スタートラインが同じです。
5月になると、先生の差が表れ、6月の後半になると、明確な差となって子どもや学級に具現化されます。


さて、話を戻します。
先生方は、今年の担任、学年がわかったことと思います。
張り切っておられることでしょう。ゲームは、前の3月でリセットしました。
4月は、白紙からのスタートです。


4月の1か月は、前にもお話しましたように、ゆっくりとスタートします。子どもに対する指導もあわてることはありません。


 病院に診察に行って、診察室に入ると同時に病名を宣告されたらどうでしょうか。「私の身体を診察、検査することなしに診断を下されたらいやですね」
子供たちも同じです。子どもたちは、「先生、私を、ぼくをもっとよく見てくださいね」と願っています。
決して、前の学年のときの姿の枠の中で見ないでほしいと願っています。


それでも始業式を迎えるまでに、子どもに関する資料整理がありますが、それに目を通すのは、どうしても前もって知っておかなければならないことだけにします。
持病、家庭環境ぐらいですね。
申し送りの資料や前の担任の先生の伝言によって、「すぐに暴力をふるう子」「言葉使いが悪い」などの内容が連絡されますが、あまり頭に入れないようにします。もちろん、指導要録に目を通すのは、4月の終わりです。


先入観で、色めがねで子どもたちをみてしまうことがあります。
先生自身の感性を大切にされたらいいです。
先生が一人一人の子供たちを素直な目で受け入れてみることです。
しかし、素直な目と言われても、私たちは、自分の枠組みの中でしか子どもたちをとらえることができません。
だからこそ、自分の枠組みを信じて歩むことが大切です。

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