教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 186回   授業は おふくろの味

おふくろの味でなくても、誰かに作ってもらった料理の味、手料理はいいものです。
ある料理研究家が「料理レシピだけでは、うまく料理することができないものです」
レシピには方法があるけれど、食べてもらう相手を思いやる心まではパターン化できないということらいしいです。


料理は愛情です。
料理をおいしく食べてもらうことで、食べる人を幸せにします。
相手のことを気遣い、メニューを考えて調理します。
味がいつもより薄かったり濃かったりします。
食材がうまく煮えず少しかためな時もあります。
それが手料理、人がつくることの良さです。
毎日、同じ味にはなりません。
調理する人のさじ加減によって微妙に違ってきます。
その違いは、少しでもおいしく食べてほしいという料理人の思いやりです。


しかし、今時は、忙しい家庭が多く、このおふくろの味が少なくなってきたのではないでしょうか。
「おふろの味」が「ふくろの味」(冷凍食品)に変わってきています
冷凍食品を解凍するだけの食事も多くなってきているように思われます。
しかし、これは、それぞれの家庭の事情があるので仕方がないかもしれませんね。


今も残っている子どもの記憶があります。
遠足のときの弁当の時間です。
子どもたちの弁当は、家の人が手間暇かけて作られたものが多かったです。
私は子どもたちに「弁当をつくるのに、朝、家の人は大変だっただろうね」と言うと、ある子が言いました。
「ぼくのおかあさんは、チンチン弁当だからすぐにできるよ」
はじめは何のことかわからなかったのですが、電子レンジで冷凍食品を解凍する時の音だということがあとでわかりました。
そうなんだ、これが「ふくろの味」なんだと感じました。


さて、この話をさせていだたいたのは、授業に関係があるからです。
今時は、授業案をネットで即座にプリントアウトできます。
既製品を使って授業です。
これも悪くはありません。
ただ、先生が子どもたちのために手作りの指導案をたてることも大切です。


授業は目の前の子どもたち思い描きながら指導計画案をたてるものです。
おふくろの味がする計画案なのです。
若い先生は若いなりに、その教科が不得手な先生もそれなりに案をたてて、子どもたちの前に立ちます。
拙い指導案でいいと思います。
それが今の先生の力だからです。
大切なことは、教室の子どもたちを想定し指導案を書いてみることです。
その子どもたちへの直接的な愛情が指導案に表れます。


今回は、やさしすぎた、難しすぎたという味加減によって、少しずつ子どもたちの学びに近づいていくものです。
成功といえる授業はありません。
常に、失敗(失敗とは言えないかも)、うまくいかないことのほうが多いものです。
子どもたちが先生の書いた指導案を修正してくれます。
子どもたちによって先生の授業の力は育てられるものです。
失敗しないようにと考える授業よりも、失敗を恐れない授業のほうが、あとで、自分の身になるものです。



手作りの授業案、毎日、詳しく書くことはできませんが、「指導目標」「指導の大まかな流れ」「流れのもとになる発問3つ」さらに、できることなら、「本時の学びの山場をどこにするか」ということを考えておきます。
時間のある時は、自分で指導案を作成するのがいいですね。


大切なことは、教室に入る時に、自分なりの案を持って入ることです。
そうすることで、教室を出るときには、多くの気づきを得ることができます。
計画しないで授業に取り組んでも、何が失敗なのかを気づくことはできません。
計画があるから失敗やつまずきに気付くことができます。
計画のないところには、反省はありません。


まわりからベテランの先生だと呼ばれるようになったら要注意です。
常に、初心者でありたいですね。
授業は冒険です。計画的な試みです。

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