教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 140回  授業とは、課題遂行機能と集団維持機能


同じことを繰り返してお話することがありますがお許しください。
角度や事例を変えてお話します。


学級づくりがうまくいっていると授業が成功しやすい」とか、「授業の基盤は学級経営である」と言われていますが、果たしてそうなのだろうかという疑問を抱きます。
もし、そうならば、学級づくりは,何をもとにして実行するのでしょうか。
学級指導と特別活動、生徒指導なのでしょうか。


学級がうまくいっているというのは、子どもたちの仲がいいとか、やさしいとかいうことなのでしょうか。いわゆる仲良し集団を意味しているように思えます。
しかし、私は、学級という集団は、一日の中で,一番多くの時間をさいている学習を通して、集団としての質を高めていくのが学校であると考えます。
質を高めるとは、集団としての厳しさと優しさを育成することです。


野球の練習や試合を通して、チ-ムの質が高まっていくものです。
試合に勝ったり負けたりしながら、その原因を練習の中でお互いが克服する事を通して、チ-ムが優勝をめざした協同的な集団に変貌していきます。
したがって、授業[学習指導]こそが、集団としての質を高め、それぞれの個としての子供たちの成長が期待できるのではないでしょうか。


話し合い活動は、学習の中で育成します。


多くの授業は、先生の説明が中心です。
逆に、子どもが話し合いばかりをして、子ども中心であるかのように見せます。
師問師答、あるいは、師問児答が学習のスタイルになっています。教師の思いと期待に応えられる子どもたちを中心とした学習が展開されています。
ただし、先生の指導の仕方によっては、必ずしも一部の子どもたちに偏ることはありません。


わからない子どもが、「わかりません」と答えると、先生は「今さっきいったでしょう」とか「どうしてわからないの、もっとしっかり聞かないからよ」という言葉をあびせられ、周りの子どもからは、嘲笑と無視の視線が向けられるのです。
そうなると、子どもたちは自分を守る(防衛的行動)ようになります。
みんなに反論されないように、笑われないようにということばかりを考えて不安になります。
学級集団が周りの友達に対して防衛的、閉鎖的になっていきます。


これでは、学級集団としてのそれぞれの個を育成する質的な高まりは期待できません。
学級は崩壊する一方です。
授業とは、課題遂行機能と集団維持機能の両方が効果的に働くことが必要であると考えています。
教科の課題が遂行されることを通して、その過程において、民主的な風土が育ち、学習者一人一人の授業への満足度と意欲が向上するような授業が大切です。


課題遂行では「わかる」「できる」に、集団維持機能では「たのしい」「やる気」に関係しています。この両者を一時間の授業の中で達成していくこと目標としています。
基礎学力は何かということが話し合われますが、生涯学習として考えたとき、「学ぶ意欲」ではないでしょうか。
先生から離れて、独りで学んでいける子どもだと考えてきました。


その課題遂行と集団維持機能の両方を満足させていくのが話し合い活動なのです。学習者の立場にたった、児問児答による学習の展開なのです。
子どものわからなさを集団全体が保障していく集団、支持的集団を育てます。


話し合いは、個から集団への働きかけ、集団から個への働きかけの両面を持っていて、常に、言葉や心のコミュニケ-ションとしての役割を果たしています。

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