教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 125 回 知識より皮膚感覚で学ぶ

夏休みに入ります。
山や川に出かけると、子ども連れの家族に出会います。
川に足を入れて、魚を追いかけている子ども。
釣りをしているお父さんの横で、小さな竿をのばしている子ども。
森林の中を息をきらしながら歩いている子ども。
渓谷を流れる透き通るような水に足を委ねている子ども。
山頂での早朝、雲の間からこぼれんばかりの光をだして顔を出す朝日。
海水浴の後の海岸線。海にとけていくように姿を消す夕日。
キャンプの朝、森全体を包んでいる木々の香り。
自然と融け合ううように接している体験の大切さ。



子どもたちに知識で自然を教えるのではありません。
ゲーム等のバーチャルな世界に引き込まれている子どもたちは、自然から遠のいています。
幼いときから身についた感覚が大切です。
これらの体験は、人間の無意識の世界にしみこんでいくといわれています。
そして、しみこんだものが、実生活の中でいろいろな場面でしみでてきます。
家庭は、子どもたちに「趣味」「教養」「マナー」を教える場です。
頭に入れるのではなく、身体の中に自然としみこんでいくような体験が必要です。


生き物を飼育している子どもたちは、教えなくても生き物の生死を体験します。
食べて糞をすることが生きるということもわかってきます。
食べるという面だけでなく、糞をするという陰の姿を体験することが必要ですね。
 「生きる」ということは、呼吸、食べる、脱糞が人間も含めて共通していることに気付かせます。
そして、すべての生き物に平等に与えられている「死」を直視することも必要です。自分以外の「死」に出会うことで、自分が生きていることについて考えざるえなくなります。
 家庭や学校で飼っていた生き物が死んだときどうしますか。
 教室で死骸がひからびていませんか。


美術鑑賞
美術館に連れていき、その絵がわかる、わからないかはどちらでもいいのです。ただ、その空気に触れる経験、皮膚体験を多く積ませることです。その経験が体にしみこんでいきます。
これは聞いた話ですが、芸術大学へ入学している学生は、幼いころからすでに芸術的環境に取り囲まれて育っている人が多いということです。
幼少時から芸術に出会わせるとこと、子どもの魂にしみこむものがあります。


体験を通して得られるのは知識ではありません。
知識は書物でも得られます。
体験を通して大切なことは、皮膚感覚のレベルで子どもたちが文化を受け止めていくことです。
それが家庭の大切な役割だと考えています。
もちろん、学校も同じです。


この皮膚感覚の体験があまりにも少なくなっていないでしょうか。

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