教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1087回 1年国語教材「たぬきの糸車」指導研究 第2回

段落を追って教材を考えます。
1段落
「きこり」という職業は、すでに死語になっている。
きこりとは、「山林の木を伐ること。また、それを職業と
する人」


 きこりが何のために、山奥に住んでいるのか、そこで、どんなことをしているのかということを理解しなければならない。
「山おくの一軒家」ということから、夫婦以外に人間はすんでないということがわかる。


野生動物の世界のど真ん中に生きている。
 そこには、たぬき、きつね、しか、うさぎ、いのししなど多くの動物たちがいる。
 昼間は、だんなさんは、きこりの仕事をしているのだろう。おかみさんは、畑仕事をして農作物をつくり自給自足の生活をしている。
 糸を紡ぐ仕事をしているので綿花の栽培もしているだろう。


 動物世界の真ん中にきこり夫婦の人間世界があるので、たぬきのいたずらなど日常茶飯事にちがいない。
 しかし、夫婦にとって、農作物の被害は死活問題である。
  
 動物にとっては、いたずらであっても人間にとっては、死活問題である。
 罠をしかけるまでに至ったということは、相当、被害を受けているのだろう。
「わなをしかける」ということは、たぬきを殺すことになる。
 動物世界と人間世界の相容れないものがあるということが前提となって、この物語が始まる。



2段落
「ある月のきれいなばん」山奥の情景、なんとうつくしいことだろう。
光のない闇に透き通るような月光が降り注いでいる。
その光のベールは、すべての山の木々を余すところなく包み込んでいる。
 草むらからもれ聞こえてくる虫の声が、澄み切った空気を通  り抜けて、満天の星空に吸い込まれていく。
目を落とすと、山の小高いところに、月光ではないたった一つの明かり、一軒家からもれている
動物たちには、山奥の一軒家の灯火は、どのようにうつっているのだろうか。
月明かりに照らされた一軒家から、糸を紡ぐ音が聞こえてくる。
「キーカラカラ キーカラカラ きークルクル キークルクル」とリスミカルな音である。
糸車の緩急からでてくる音は、おしゃべりをしているようである。
使い慣れた糸車、少し油切れしたような音。決して、機械的に同じテンポで回しているのではなく、糸の状態に目配りしながら、速さを調節しながら糸車を回しているおかみさんの細やかな気遣いが感じられる。


3段落
「ふと気がつくと」おかみさんは、作業に集中している。
たぬきも用心深く、音をたてることなく近づいたのがわかる。
「二つのくりくりした目玉が、こちらをのぞいていました。」
この時、おかみさんはびっくりしただろう。
どうして、叫び声をあげなかったのだろうか。
障子には、月明かりに映し出されたたぬきのシルエットが浮かびあがっていた。


4段落
しょうじの穴から二つの目玉、あかるい障子には、たぬきのかげが映っている。
幻想的であったり、牧歌的であったり、あるいは、少し怪奇的な感じがしないわけではない。
障子に映るたぬきの体のシルエットと穴から出ている目玉の動きが奇妙なコントラストを出している。
糸車の音に合わせているかのような目玉の動きの面白さ。
正体まるわかりであるという滑稽さ。
                        次回に続く

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