教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1055回 教師の生きざまは 花瓶の下敷き

病気にかかることがありますね。
医者に診察を受けて薬を処方してもらいます。
医者の立場からみると、患者の病気を治したということになります。
しかし、医者は病気をなおしていません。
患者自身の生命力と治癒力が病気を回復に向かわせています。
医者は、その底辺を支えただけです。
医者が直接病気を治していないのです。
患者の病気回復のための黒子に徹しているだけです。


教育も同じです。
美しい花が活けられています。
花瓶は花の美しさを損なわない謙虚なたたずまいで花の命を支えています。
その花瓶の下に、大部分が隠されていますが、質素な下敷布が一枚、さらに謙虚に花瓶の下を支えています。
花は子供たちです。
下敷きにあたるのが先生です
子供たちを輝かせるために、花瓶のさらにその下に生きています。
目立たないのです。
使い捨てなのです。


「私は、あの子をここまで育ててやったんだ」
「私は、あの子の恩師なのだよ」
「私が目をかけたからあの子は成長したんだ」
すべては、先生が主役の座を奪っていますね。


子供たちが輝けばいいのです。
しかし、先生根性がちらほらでるものです。
私の教育がよかったのだと自画自賛したくなるのもわかります。
子供のために努力、苦労すればするほど、そのように思えてもくるものです。


子供たちは、自分の生きる力で自分を育てていきます。
私たち教師は、子供たちが生きやすいように、花瓶の敷物に徹します。
黒子なのですね。
教師の魅力は、使い捨ての境地に達することができることです。
難しいことですが、目標をそこにおいてみてはどうでしょうか。

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