教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1022回 授業の要素としての人間性と総合性

以前にもお話しました。
今、学校教育から子ども、人間が希薄になっています。
特に、子どもの内面、心理、特性について深く掘り下げることが少なくなっています。
学校教育で語られる子どもは、いつも一般化された子どもたちです。


機械やコンピュータにおいては、操作する者と機器の間に人間は入りません。
ボタン一つで機器をおおむね思い通りに操作することができます。
マニュアルに沿っていけば、失敗することはありません。
これは、操作する者と機器の間に人間がいないからです。


教育の仕事は人間を相手にします。
誰もが口から発する言葉です。
しかし、その言葉には、個々の子どもたちの顔は見えません。
いろいろな教科、教材を駆使して一人ひとりの個性的な子どもたちを育てます。
本来的に人間性の要素をもっていることは言うまでもありませんね。


教育は総合性という要素を持っています。
教える側の人間性
教える内容の学問体系
教える手段、方法。
教えられる人間(子ども)の内面的な動きや反応

これらがすべて絡み合って一時間の授業が展開されています。


子どもの認識・思考・感動などの諸能力の育成を目指しています。
全教科・心理学・教育学の各領域と重なり、さらには、領域を超えたところで総合的な営みが必要になってきます。


授業において、指導者がいくらすっぱく言ってもわかってもらえないことがあります。
なかなか行動かできません。
反対に、思いもかけない一言が一人の子どもの頭に残って、一生の指針となることもあります。
これは、教育の相手が人間であって機械や物質ではないということです。


また、
相手が人間であるために、目の前の子どもがどのような内面状態にあるか。
どのようなことに興味・関心、さらには必要感を持っているか。
さらには、子どもがどのように理解したかを総合的に見定めることができるのが教師の力量です。

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