教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 971回 二十代の先生へのメッセージ

新卒の3年間は、学校全体の動きがわかるまで無我夢中であったと思います。
教員をめざした動機があったことでしょう。
その目標をおぼろげながらもめざしてこられたことでしょう。


やがて、6年目を迎えます。
6年もたつと、学校や子供のことについて、一通り理解できるようになります。
学校学級の行事のこなし方、生徒指導の基本的な対処の仕方、授業の進め方等、理解実践できるようになりますね。


ところが6年をすぎて7年目に入ると、教材研究に一生懸命だった日々が遠のいていきます。
少ない準備でも授業を進めることができるようになるからです。


新卒で教育の世界に入ったときは、周りの先輩の先生に気おくれする時があるものです。
教育技術が未熟だから、どうしても自分に不安を感じることも多かったはずです。
私は、他のベテランの先生の実践を目にするたびに「こんな自分ではだめだ」と思ったものです。
しかし、その時、私にあってベテランの先生にないものが一つだけあることに気づきました。(師匠との対話のなかで)


それは「若さ」でした。
子供と年齢が一番近いことでした。
指導技術が未熟ならば、子供たちの中に入って共に活動すればいいと考えました。
まず、子供たちにとけこんで共に遊びました。
気づいたら子供たちよりも本気になっていました。
(実際には、教員を止めるまで子供と共に活動できました)


教育、特に子供との関わりにおいては、手抜きができるようになります。
手抜きというよりも効率的に動けるといったらいいでしょうか。


この時期に大切なことは、
今の仕事を天職だと思えるかどうかです。
教育の仕事に対する使命感があるかどうかです。


6年目を境として、少しずつ教育に対する意欲が下っていくことがあります。
だから、新任の時の気持ちを思い返すことが必要です。
6年目は、教員の分かれ道です。
年齢を重ねるだけのベテランになるか。
年齢とともに、教育技術に円熟味を増すか。


今までがどうてあろうとも、「よし、もう一度」と思い返した瞬間に、再び、教育の道を歩き始めています。

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