教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 853回 感動を言葉に 詩を書こう その1  感嘆の言葉から

詩として言葉に表現する学習がある。
しかし、その前提として「感動すること」がある。
感じて自分の心を動かすことである。
そもそも「感」という漢字の意味は次の通りである。
大きな威圧の前に声を出し切る。
人の心が大きな刺激の前に動く

「出し切る」ことであり「動く」ことが詩なのだろう。


ただ感じるだけでなく、それを自分の心の中に取り入れることが必要である。
今の子どもたちは、自然を前にして深く感動することは少ない。
あるいは、感動していてもその表現方法を知らない。
感という言葉は人間の見えない、言葉になりにくい一面がある。
私たちがよく使う言葉にも「感」を伴う言葉が多い。
共感 好感 語感 実感 情感 多感 直感 痛感 予感 霊感など


感じるものは言葉になりにくいものである。
しかし、今では、簡単に言葉で言い切ってしまうことが多い。
「めっちゃおもしろいわ」「やばい」と簡単に言い切っている。
たのしい おもしろい うれしい かなしいなどの言葉をどの場面でも使っている。
具体的にどんなことに心が奪われたのかがわからない。


詩を書く単元は、との学年にもある。
詩を書くことが苦手な子も多い。
時々、そのような子どもに対して、「詩が書けない」という言葉を十回書いてごらん」と指示。
それが詩なんだよと伝える。
最初に書いた「詩が書けない」と、最後の「詩が書けない」の言葉に込められた気持ちは同じかどうかを問う。
そのように自分の心に聞いてみると、最後の言葉は
「やっぱり詩が書けない」「どうしても詩が書けない」「どうして詩が書けないのだろう」
「どうしても詩が書きたいよ」などの表現に変わってくる。


子どもに指導するとき、感嘆詞を最初に上げさせる。
「うわあ」「すごい」「あれっ」「うそっ」などの自然に体から出てくる言葉に注目させる。
そして、「あれっ・・・・」の後に続く言葉を考えさせる。

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