教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 493回 新学期 最初が大切? 本当ですか?

新年度が始まると、学級生活の準備という名目で、大掃除、学級のめあて、学級のルール、係活動分担、当番活動の割り当てなど、新学期の三日間は大忙しですね。


先生としては、最初にきちっとした型作りをしたいものです。
容器をつくってから液体を流し込みます。
液体は漏れることはありません。
しかし、液体は、その枠組みの中で形が規制されています。
形を変えることはありません。
最初から子どもたちを鋳型にはめないようにします。


子どもたちと学級の枠、ルールも同じですね。
どうしても先に組織しなければならないのは、実務的な仕事のみです。


最初が肝心だ。
「黄金の三日間」とか「低学年は最初の一週間で決まる」など、最初が大切だという考えの先生が多いです。
「黄金の三日間」は、おそらくしつけの三日間でしょう。
三日でできてしまったら、4日目からどうするのでしょうか。
「一週間で決まる」教育とは、どのような教育でしょうか。
一週間すぎても決まらなかったらどうするのでしょうか。


新学期に先生方の口からでるのは、最初が大切だという言葉です。
最後が大切だという言葉を聞くことはありません。
最初を大切にするなら、最後も大切です。


担任は、過去の教育の失敗をリセットするために、「今年こそは」と意気込みます。
ある先生は、子どもたちを前にして、「誰が先生かをわからせることです」と、力を見せることだと言われました。
こうして、張り切ってスタートしても、6月になると、先生に4月のような活気がなくなり、子どもに対する意欲も停滞します。


「今年は、子どもの質が悪い」「家庭環境が悪い」「前担任の指導が悪い」と、自分の指導を棚に上げて、愚痴をこぼされます。
5月の連休明けから、6月にかけて、職員室で耳にする言葉です。


新学期は、身体は動かしても、心はゆったりと構えます。
新しい子どもたちは、正体不明です。
まずは、新しい子どもたちの実態、事実を把握することから始めます。
医者が患者を診察してから治療に入るのと同じです。
診察なしに、やみくもに治療が行われたらどうでしょうか。

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