教育随想16回 担任になっても 先生にはなれない
先生が新しく学級の担任になります。
「最初が肝心だ。だれが先生かを子どもに理解させなければならない」と言われた先生がおられました。威厳をもって先生の指示に従わせる方針をたてて指導にあたられていました。
これも先生の一つの生き方でしょう。
ただ、一年間の子どもたちは伸び悩むことになります。
学級を維持管理するだけで終わることになります。
担任発表のとき、子どもたちの表情はとてもおもしろいですね。
まるで先生の人気投票です。
若い先生、やさしい先生は人気があるようです。
年齢を重ねるたびに、ちょっぴり寂しい感じもしました。
でも、芸能人の人気投票ではないと思い、冷静さを装いました。
担任の先生になっても、子どもたちの先生にはなりません。
ただ、その教室の所属、担当になったというだけです。
先生にとっては、新しい子どもたちと同じで新入生です。
子どもたぢ一日目なら先生も一日目の担任の先生です。
子どもたちと共に過ごす時間とともに担任1か月生、2か月生・・・となります。
だから、すぐには、子どもたちの「ぼくの先生」「わたしの先生」にはなりえません。
それには、長い時間を必要とします。
人間同士の分かりあいから始まります。
ところが、担任の先生になると、いきなり「私は、あなたたちの担任だ」という顔で、子どもたちを上から目線で指示し始めます。
病院にいった患者が、診察室に入るや否や、「あなたは、胃の病気だから食べ過ぎに注意しなさい」と言われるようなものです。
初めて行った病院、診察してくださった医者。
一日めから担当医であっても「私の医者、先生」ではありません。
近所に何年も通っているホームドクターがいますが、私の体や健康状態を理解してくださっています。検査の数値だけで一律に判断されずに、あくまでも目の前の患者の状態を診察して治療や保健指導をしてくださっています。まさに「私の医者、先生」なのです。
担任の先生も同じことです。
子どもたちのことを理解し、心を通わせるなかで、子どもにとっての本当の先生になっていきます。
一人ひとりの子どもたちに心を寄せ、心を通わせ、心をつないでいく過程が一年間の歩みです。
そして、先生が子どもたちを育てる、指導するというのではなく、育てさせていただくという感謝の気持ちこそ必要だと思います。
子どもあっての先生です。
子どもたちが先生を育てます。
子どもたちが担任を先生にしてくれるのですね。