教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1043回 授業者の指示は繰り返さない

現場の先生によく質問されるのは、「子供に対する言葉かけをどうしたらいいですか」という内容である。
先生がたは、言葉を教育の主力媒体だと思っておられる。
もちろん、子供らに指示したり評価したりする時に言葉を使う。
決して言葉をないがしろにするものではない。


ただ、問題なのは、言葉かけを問題にされるなら、どうして、その時の気持ち、心情を問題にされないのか。
言葉は、子供に働きかけるときに指導者が意図して使うもの。
言葉を発するとき先生の子供に対する想い。
その子をどうしたいのか、どのように育ってほしいのか、その気持ちが根底になければならない。
そこから言葉が発せられる、子供に向かって。
子供は、先生の言葉から染み出てくる自分への愛情を感じる。


さて、授業についても同じことがいえる。
指導者の子供に対する明確なねらいから言葉が生じる。
それなのに、実際の場においては、意味のない指示の繰り返しである。
なぜ、指示を繰り返すのか。
指示して少し待てないのか。
先生の指示が子供にとって理解できているのか。
できていないのに、どうして同じ言葉で指示を繰り返すのか。


指導者の指示は授業の方向性と雰囲気を変える。。
指示によって子供たちの行動、思考を方向転換させる。
指示するときには、指導者の明確な意図を含む。
何をさせたいか、何をどのように考えさせたいかである。


もっと読みなおしなさいの繰り返し。
読み直して子供に気づかせたいことは何か。
気づかせるための指示は、示唆的であり具体的である。


「班でもっとよく話し合いなさい」
この指示言葉がに何回も繰り返されることがある。
子供は話し合ったつもりである。
でも、問題が解決しない。
同じところをぐるぐる回るか、広がらない。
そのきっかけを与える指示が必要である。
話し合いの起爆剤が指示である。


指示を2回以上繰り返さない自覚と準備が必要である
一時間の授業で、本当に必要な指示はいくつなのか。
指示によって「学びが進む」「学びが広がる」そして、深まる。

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