教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1313回 学年 最後の後始末です

学年の最後、子どもたちとの学習や学級生活が終わる時のことを考えます。 最後の後始末は、子どもと一緒に作業します。 次の新しい学級が進級してくる子どもたちや先生の身になって行動します。 教室内を見渡します。 〇子どもたちへの約束事の掲示  最後まて゜掲示されていることがすでに問題です。  それでも、この掲示を子供たちとどのように始末しますか。 〇学校備品の返還 理科備品 図書 子どもの作品 子ども…

教育随想1312回 最後の一か月は 授業のスキルを磨く

三月の子どもたちは、四月に出会った子供たちとは明らかに違っています。 学習集団としては、最初よりもたくましくなっています。 先生と子どもたちの距離感も少しでも近くなっているはずです。 学習の仕方において、子どもたちは先生の仕方に慣れてきています。 この先生自身が育ててきた学習集団を活用します。 先生の授業の挑戦が始まります。 教科書の教材もほとんど終わりに近づいています。 先生は、自分にとって苦…

教育随想 1311回 最後の一か月こそ 次年度につながる

まだまだ幕にできないことがあります。 なかなか指導がおもわしくなかった先生は、「あと、もう少しで手を焼かせた子どもたちとお別れできるぞ」と、残りの日を指折り数えておられます。 指導が停滞した理由を、今、つきつめておかないと、また、同じ子どもを育ててしまいます。 問題の子どもたちのなかには、初めから問題をもっているのではなく、指導されるなかで、問題だとレッテルを張られた子どもたちもいます。 次年度…

教育随想 1310回 学力低下は 教員から始まった

私も含めで教師として不勉強は子どもたちに大きな影響を与えてきました。 教科・教材や教育について、抱負な知識を持っていること。 教授方法に熟達した技術を身につけることは、教師といわれる人であれぱ最低の条件ではないでしょうか。 しかしながら、子どもたちを前にして、自分の不勉強が露呈します。 もう少し知識があったなら、子どもの視野を広げることができたはずである。 教授方法がもっと巧みであれば、子どもた…

教育随想1309回 先生は 学者ではなく 実践家

大学の先生を学校に講師として招くことがあります。 ふだん気づかない内容もあって、それなりに楽しいものです。 しかし、実践家の言葉ではありません。 学校教育を学問的立場から意味付けておられます。 学者としては、それでいいと思います。 しかし、学校の子どもたちを日々相手にしている先生は学者ではありません。 小さな学者先生はおられますが。 学問的立場から子どもたちを指導すると、最初から子どもたちの行動…

教育随想1308回  先生の声は 出し惜しみを  静かに話す子

とにかく先生の子どもに対する声が大きいです。 教室では、廊下に飛びでるような声で話されています。 運動場では、叫んでいるように指示されています。 叱るときは、床に響き渡るようなどなり声。 先生の声は、時には雑音・騒音でしかないことがあります。 教室の一番後ろの子どもに届いたらよい声で話します。 声が大きすぎるのは、心まで入りません。 先生はどうしてそんなに大きな声をあげるのでしょうか。 大きな声…

教育随想 1307回 先生がいないときが 子どもの練習の場になる

教育現場で指導、指示が教育手段として行われています。 指示は、子どもの進む方向を示し、右、左、直進を指示します。 車のハンドル操作と同じです。 指導は違います。 指示して目標まで導くことです。 先生の指導目標が達成しないと指導したことにはなりません。 そういう意味においては、先生方の多くは、指導ではなく指示なのです。 子どもに問題があると、その子の担任は「指導したのですが」と言い訳をされます。 …

教育随想1306回 若い先生は 若いままでいい

若い先生、勤務経験の短い先生は、ベテラン先生に指導を受けることも多いです。 納得のいくこともあるし、首を傾げることもあります。 私は、ベテランの先生から熱心に指導していだきました。 反対に、「それは子どもに通用しないよ」と言われて、実践する前につぶされた指導案もあります。 教員3年目の時に、当時、私の学校で理科教育の全国大会をすることになりました。 私は、その時、5年の担任でした。 学年4クラス…

教育随想1305回  背中で教育することの難しさ

先生の姿を見ていると、口だけで教育している場面か゜あります。 子どもへの注意、指導を言葉だけで、子どもを変えようとしています。 言葉は、内容を伝えるだけの道具になっています。 「・・・しなさい」「できるだろ」「わかったでしょ」と言葉だけで教えようとしています。 子どもは、権威・肩書きを背景とした先生の言葉に従わないわけにはいきません。 街を歩いている子どもに同じ言葉をかけたら聞くでしょうか。 肩…

教育随想 1304回  感動は 人に与えられるものではない

感動とは、直接体験のなかで湧き上がるものです。 子どもがじかに自分の足で歩きます。 自分の目で対象をみつけます。 そして、じかに対象に触ってみる体験です。 大人や先生に指示されるものではありません。 子どもが子ども自身の本能に従って行動することが必要なのです。 大人が子どもに言います。 「あの山はうつくしいでしょ」 「あの花はきれいだね」 「この音楽は感動的だね」   だから山をしっかりとみてご…