教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

2026年1月のブログ記事

  • 教育随想1308回  先生の声は 出し惜しみを  静かに話す子

    とにかく先生の子どもに対する声が大きいです。 教室では、廊下に飛びでるような声で話されています。 運動場では、叫んでいるように指示されています。 叱るときは、床に響き渡るようなどなり声。 先生の声は、時には雑音・騒音でしかないことがあります。 教室の一番後ろの子どもに届いたらよい声で話します。 声... 続きをみる

  • 教育随想 1307回 先生がいないときが 子どもの練習の場になる

    教育現場で指導、指示が教育手段として行われています。 指示は、子どもの進む方向を示し、右、左、直進を指示します。 車のハンドル操作と同じです。 指導は違います。 指示して目標まで導くことです。 先生の指導目標が達成しないと指導したことにはなりません。 そういう意味においては、先生方の多くは、指導で... 続きをみる

  • 教育随想1306回 若い先生は 若いままでいい

    若い先生、勤務経験の短い先生は、ベテラン先生に指導を受けることも多いです。 納得のいくこともあるし、首を傾げることもあります。 私は、ベテランの先生から熱心に指導していだきました。 反対に、「それは子どもに通用しないよ」と言われて、実践する前につぶされた指導案もあります。 教員3年目の時に、当時、... 続きをみる

  • 教育随想1305回  背中で教育することの難しさ

    先生の姿を見ていると、口だけで教育している場面か゜あります。 子どもへの注意、指導を言葉だけで、子どもを変えようとしています。 言葉は、内容を伝えるだけの道具になっています。 「・・・しなさい」「できるだろ」「わかったでしょ」と言葉だけで教えようとしています。 子どもは、権威・肩書きを背景とした先... 続きをみる

  • 教育随想 1304回  感動は 人に与えられるものではない

    感動とは、直接体験のなかで湧き上がるものです。 子どもがじかに自分の足で歩きます。 自分の目で対象をみつけます。 そして、じかに対象に触ってみる体験です。 大人や先生に指示されるものではありません。 子どもが子ども自身の本能に従って行動することが必要なのです。 大人が子どもに言います。 「あの山は... 続きをみる

  • 教育随想1303回  私は 教材研究が  好きでした

    私は最初は理科教師として、理科に力を入れました。 理科を教えていると、どうしてもそれぞれの専門的な理解が必要になります。 小学校において「力」「熱」「光」「音」などの学習があります。 教える立場として、どうしてもそれぞれの専門的な勉強をする必要が生まれてきます。 教科書の予備実験をしていると、それ... 続きをみる