教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 103回 精神年齢が低下する子どもたち

質問内容です。
・最近の子どもたちについて
  数年前に比べると、「わがまま」「自己中心」などの子どもが増えていると思うのですが…。今の子どもたちの特徴を話してほしいです。(先生が感じられていること)



①精神年齢の低下――困難を乗り越えるための耐性の低下


子どもたちの精神年齢は、実年齢に0.7をかけたものだといわれています。10歳の子どもの精神年齢は、10×0.7=7歳ということになります。小学校入学時の子どもの精神年齢は4歳です。
したがって、保育園の子どもに接するように指導します。
その原因の一つとして、困難な状況に耐えられなくなっていることがあるそうです。


②与えられすぎている日常(物質と指示)――思考停止の子どもたち


子どもたちは、自分の欲求を持つ前に、大人によって指示されたり物を与えられたりしています。これは、自分の脳を働かせることがなくなってきます。
人間は欲に動かされて生活しています。
「・・したい」という思いがあって、目の前のことや未来の姿を求めます。
しかし、その欲が起こる前に、大人の手によって裳の機会が与えられてしまいます。


③加害者意識の低下による被害者意識の増幅(保護者も)


自分がしたことを悪いという反省よりも、周りや相手の子どもが悪かったから、自分は悪いことをしてしまったというように、人のせいにすることが多いです。
子どもが自分で悪いと思っても、親が「この子は悪くない。友達に影響を受けただけだ」という言い方をすることがあります。


④バ-チャルな世界に生きている子どもたち 体験の欠如


ゲーム体験は現実の世界ではありません。常に、リセツトできる環境にいます。しかし、現実の世界では、リセットできません。
やり直しはできません。
出直ししかできない世界です。
子どもたちが今の自分が立っている現実を見切る力が、非常に脆弱なものになっています。ゲーム脳については、またの機会にお話しします。


⑤透明な存在――自分が生きているという実感がない子どもたち


この話も回を変えて詳しくお話したいテーマです。
人間の存在は、他者との関係の中で輪郭を帯びてきます。しかし、愛されることの少ない子どもは、とても不安定になっています。
人を愛すること、愛されるということを通して、自分の存在理由をみいだしていくのですが、このような子どもたちは、常に、寂しい目をしています。


⑥情緒の表出の乏しさ 


自分の感情を素直に表現できない子どもが多いです。これは、子どもたちの家庭生活、特に、母親との関係の中で生まれてくることが多いそうです。甘えることのできない子どもたちです。


⑦生活に退屈している子


「暇やなあ」「することないわ」という子どもを見かけます。自分の趣味をもっていません。自分を投入できる対象がありません。
自ら自分のしたいことを見つけることができずに、常に、おとなから与えられている子どもたちです。


⑧自主的に動くよりも「やらされる」を好む


自主的に動くと自己責任になります。
させられて動くことは、失敗しても大人の責任になります。
自分で考えて動くよりも、だれかの頭を借りて動くほうが楽です。
主体的になることは、常に責任と苦痛が伴いますので、親の言う通り、先生の指示どおり動いたほうがはるかに楽なのです。 


8つのことをあげましたが、一つ一つについては、もう少し詳しくお話するようにします。

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