教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 104回  女子が主人公になった  学級崩壊


 学級崩壊は、数人の男子(私は3人)が学級の空気を壊していきます。
 授業妨害,規則を守らない、何よりも先生に対する不服従という状態がおこります。


女子が中心となって学級の空気を壊していく崩壊に出会ったのは、たった一回だけでした。男子よりも女子の方が指導しにくいものです。
学級崩壊のクラスを参観していると、男子が中心になって学級をかき回しているように見えますが、実は、その底辺に女子の崩壊があるのです。


女子の雰囲気が悪くなると、男子が落ち着かなくなり乱れてきます。
参観の時の女子のまなざしを観察してください。
女子の場合は、直接行動に表れませんが、視線は先生を見ていません。見ていても斜めに見ています。


私が担任した学級は、女子のけんかが絶えない学級でした。
2つの大きなグープがあり、些細なことでお互いか激しい口喧嘩をします。
喧嘩したら止まりません。うかつに止めに入ったら、こちらに火の粉が飛んできて「先生、うるさいからだまってて」と怒りを示してきます。


6年生でした。
4月新学期の学校行事、入学式の準備がありました。
新6年生として最高学年になった気持ちで準備に臨みます。
ほとんどの女子が椅子を運ぶときに一脚ずつ運びます。運んではそこで友達同士雑談をしています。
私が注意しても嫌な顔して「はああい」と生返事をしてゆっくりと作業を始めます。でも、その動きはすぐに止まってしまいます。
入学式の準備は時間内に終えなければならないので、作業が遅れると正直焦ってしまいました。どうにか、男子といっしょに作業を終えることができました。


男子の指導は基本的に向かい合って対話しますが、女子の場合は、向かい合うことを嫌がります。視線を合わせたくないからです。
すなわち、正面から女子を指導すると、反発、拒否をしてくることがあります。


4月の授業参観
新学期が始まって2週間目に保護者のための授業参観がありました。
これは今でも強く心に残っています。
数人の女の子は、授業中になると首を傾けて窓の外を見ています。
明らかに私に対する反抗でした。
先生の思い通りになりたくないというアピールでした。
保護者が見ていても関係ありません。
正直、私は、焦りました。ふだんの学習も、集中はしていませんでしたが、参観日ほど顕著なものではありませんでした。
子ども同士で示し合わせていたのでしょう。


そのあとの学級懇談会の時でした。
当然、保護者から私への質問がありました。
「先生、子どもたちの様子を見させていただきましたが、大丈夫ですか」
「どうして注意されないのですか」
など、不信感をもって、わたしに答えを求められました。
これは当然のことでした。
私は、保護者に答えました。
「子どもたちの今日の行動には、それなりの原因があります。それについては今回はお話しできませんが、3カ月待っていただけませんか。6月の下旬から7月の上旬まで待ってください。その時までに変化がなければ私の指導責任です。」


こうして、子どもたちと保護者の不信感を背中に受けて新学年がスタートしました。このようなことは、学級崩壊のクラスを担任するとしばしばあることでした。


私は、どうして、彼女たちが先生に対して不信感をもちはじめたのかを探ることから始めました。
子どもたちとの給食の時間、それぞれの班に自分の給食を運んでともに食べるようにしました。そして、日常会話の中にヒントを見つけようと考えました。
案の定、子どもたちの会話を聞いていると、今までの溜まっていた不満がでてきました。私は「そうなの」「それは大変だったね」と、彼女たちの不満をひたすら聞きました。
反抗している女子は賢い子が多かったです。
きっといろいろなことを任せたら自分たちで計画実行できる子どもたちであると感じました。
ところが5年生のときに、自分たちで計画実行しようとした学級のルール決定や活動をことごとく先生の手によって壊されてきたようでした。
いわゆる、先生中心の強引な学級経営に問題があったようです。


 「どうせ私たちが考えて計画しても、先生は勝手につぶしてしまうでしょ」という気持ちを強くもっていました。彼女たちの先生に対する不信感の正体がわかりました。


私は、次のことを始めました。
 一番目は、彼女たちを「ひたすら受け入れる」ことでした。
 彼女たちの要望をまず受け入れました。
 筆記用具や画用紙を自由に使えるようにしました。
 彼女たちが立案、計画、実行し始めたときに役立つものを教室におきました。


二番目は、週に1時間の学級会を子どもたちに預けました。
自由に使いなさいという指示をだしました。お楽しみ会も月に1回の予定で実行してもよいという提案をだしました。
「先生、私たちが計画しても、また、反対するのでしょ」と言いました。「いや、言いません。ただし、自分たちで計画実行したことには、その結果については責任を持ちなさいね。」
子どもたちは了解しました。


この2つのことを継続しました。
5月から実施しました。
お楽しみ会やスポーツ大会の学級行事を入れてきました。
私は、用具と場所の準備をするだけでした。
女子が中心になって、男子もそれにつられて活動するようになりました。


こうした活動の間にも女子同士のけんかがありました。
喧嘩が始まると、私は、その横に椅子を持ってきて座って見学しました。
どちらにも見方しません。一言も口をはさみません。ただ。見守るだけです。


観察していると、喧嘩の中心になっている女子は二人であることがわかりました。
他の子は、その子の取り巻きであることもわかってきました。
私は、その二人と距離を縮めるようにしました。
それは「聞いて受け入れる」というだけでした。
しかしながら、「受け入れる」ということほど人間にとって難しいことはありません。
聞くと、その考えに対して、先生としての勝手な価値判断をしてしまうからです。
「こうしたら」「もっとこちらのほうが」などの言葉が、子どもたちにとっては嫌なものなのでした。
自分を信じて任せてほしいという気持ちが強かった子どもたちでした。

×

非ログインユーザーとして返信する