教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1117回 先生の視野の外にいる子供たち 授業

散策のとき、近所の学校の横を通ります。
運動場が緑道に面しています。
体育の授業が行われています。
先生が子供たちに助言、指示を出しています。
先生は、子供たちを集めることなく指示を出しています。
その時の目は全体の子供を把握していません。
言葉が空中をさまよっています。
子供を視野に入れて話していません。
子供たちは「あっちや向いてほい」です。


街の公園に校外学習で中学年ぐらいの子供たちが来ていました。
先生が簡単な指示のあと、解散して自由に遊ばせようしていました。
子供たちは、友だちと遊び始めました。
先生は指示を出した後、供たちから目が離れました。


子供たちの様子を観察しました。
誰かと遊んでいる子はいいのです。
しかし、一人で木の陰や隅っこに逃れていく子がいました。
一人暗く沈んでいました。
そのような子供たちが三人ぐらいいました。
先生は、彼らの様子を把握していません。
先生の視野の外にいる子供たちです。
「みんなで遊びなさい」は友だちのいない子にとっては地獄です。


授業参観、先生の視線を追います。
視線は中央を見ています。
左右の両端の子供は目にいれていません。


質問時、先生は子供たち一人ひとりの反応をとらえていません。
意欲的な子、質問の意味を理解していない子、初めから参加していない子・・・。
うつむいている子 窓の外を見ている子。


どんなにIT教育が進んだとてしても、先生の肉眼で子供を捉えることは大切です。
先生が子供の気持の最大の受信機なのです。
子供のしぐさや表情から子供の気持が伝わってきます。
先生の心の感度の問題。


授業者が子供に語りかけているときは、子供から目を離さないようにします。
特に、先生が質問、助言、指示等で子供に働きかけた時はなおさらです。


子供の把握は体全体で把握。
次に表情など目に見える動きで把握。
さらに、まなざしのなかに子供の気持の変化を読み取る。


これらのことは、日々、一年間、意識することで自然に身につくことです。
それをしないで、教育機器によって子供理解をする傾向があります。
先生の技能的なものは衰退します。
一人ひとりの子供にタブレットを与え、子供たちの学びを把握する傾向があります。
補助として活用するのはいいですが、それがすべてになってはいけないと考えます。


人としての先生が人としての子供たちと向き合う。
以心伝心が指導者の根底にあります

言葉に頼りすぎているようです。

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