教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 102回  能力差はあっても意欲差なし

質問内容です。
見通しを持ち行動できる子と、そうでない子の差をうめるには、どうしたらいいでしょうか。クラス全体の底上げを図るための手立ては?


子どもたちみんなが見通しをもてるという意味での底上げなのでしょうか。
全員が同じレベルの見通しを持つこと、持たせることは難しいことです。


 車を運転していると、しばじは渋滞に巻き込まれます。ほんの少しずつしか進まないですね。どうして渋滞しているのか、どこまで渋滞しているのかがまったく見えてこないといらいらします。
 ところが、1km先の工事のために渋滞しているとわかると、渋滞を抜け出る時間が予想できます。渋滞の原因になっている個所(目的地)がわかると見通しがたちます。
 子どもたちの学習や生活においても、目的、目標がわかると、そこまでの道程が見えてきます。見通しを持つことができます。


先生が学習や生活において、指示のみで子どもを動かしている間は、子どもたちの中に見通しをもつ姿勢は生まれてきません。
学習の場合は、本時目標を明らかにする、すなわち、課題の意味をしっかりと理解できるようにしてからスタートします。
 「今日の勉強は、どんなことがわかったらいいのかな」「どんなことができるようになったらいいのかな」と、低学年にでもわかるように話します。
さらに、「めあてがわかったら、どんな方法でわかる、できるようにしょうかな」と、たずねます。


生活においては、朝の会で、今日の一日が終わるまでの活動内容とめあてを全員で確認するところから始まります。途中で、先生は指示しなくてもいいようにします。
特別教室の移動指示、理科の実験準備、今日の行事予定など、その都度指示しないようにします。すべては、朝の会で確認します。
先生がその都度指示していると、子どもはますます依頼心が強くなります。



さらに、重要なことは、見通しを持って活動している子どもたちの中に、見通しをもてない子どもたちが一緒に活動できているかどうかなのです。


 班活動を通して、見通しの持ち方を学べるようにします。
 班活動を通して、目標や見通しの共有をはかります。
 班全員が見通し、手立てがわかるように確認します。
 班で活動することで、見通しのわからない子どもが自然にわかるようになります。


「クラス全体の底上げ」とは、何を底上げするのでしょうか。
学力、知識、それとも体力、さらには、気力、意欲がありますね。


ここで注意したいことは、学習に関していえば、上位の子どもがレベルアップしても下位の子どもはアップしません。むしろ、ますます離れていきます。
たとえば、挙手発言、手の上がる子どもだけ優先的に指名して発言させていくとどうなるでしょうか。発表能力にますます格差ができます。できる子どもを中心とした授業では、子どもたち全体を底上げすることはできません。


「能力差があっても意欲差はなし」ということをめざして、授業に取り組みます。
それは、子どもたちに平等に学習活動の機会を与えることです。
 全員が1時間の中で発言できるようにします。
 だから、指名発言を多くとりいれます。
 その限りにおいては、挙手発言の指名を控えます。
 班の中での話し合いも全員が意見を発表できるように指示します。


これは、リーダーも輪番制にします。これについては、また、話題に上げます。
私は、挙手発言をさせるときは、学習が理解できているか、フィードバックするときだけです。ほとんど、指名、ペア、班での話し合いの中で全員発言の機会を与えるようにしました。

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