教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1122回 学級崩壊 甘やかし 締め付け 実力不足

学級崩壊の原因は、おおよそにおいて三つあげられます。
1.甘やかし、集団管理の拙さ
2.締め付け、集団管理の厳しさ
3.教師としての実力不足


1.甘やかし、集団管理の拙さについて
子供の要求をできるだけ聞き入れることでいい先生を演出。
叱らないことで易しい先生を演出。
人間が複数以上になれば、お互いのルールが必要です。
集団生活には、お互いを活かすためのルールがあります。
社会において私たちがルールを守ることで、お互いの生活を維持することができます。


子供たちに好き勝手にさせることが、のびのびしていると思っておられる先生。
4月に子供たちを笑顔で受け入れます。
子供の要求に「いいよ」と受け入れていきます。
子供に好かれたいという野心さえ感じられます。
これを下心で教育するといいます。


そのうちに、子供たちは騒がしくなります。
その時になって、先生は注意します。
今まで許可していたことと反対のことを指示されるのですから、子供の不満は募ります。
もう、遅いのです。


2.締め付け、集団管理の厳しさ
上記のことと反対で、最初から集団を統制します。
学級のルールと称して、実際は先生が決定し押しつけます。
子供を管理するのに都合のよいルールを入れます。


しめつけが厳しいと子供は息ができなくなります。
指導の厳しさのあまり息を吸うことができても、はくことができなくなります。


甘やかしと厳しさの中間がありません。
厳しさは必要ですが、どんなことに厳しくするのかを考える必要があります。


3.教師としての実力不足
授業、学習指導する力量が不足しています。
先生の教材研究の学問的背景が乏しい。
教材内容を把握し、指導として構造化できない。
先生の仕事は学習指導です。
遊ぶことでも友だちになることでもありません。
先生から学習指導をとってしまったら何が残りますか?
授業を通して、子供たちを成長させることが核になります。


しかし、最初から授業、教材研究の力があるわけではありません。
日々の教材研究、教材の学問的研究をしているうちに、少しずつ身につくことです。
だから、実力不足を自覚することです。
指導書を横において授業をしているようではだめです。


どの教科も勉強できることが楽しくなっていきます。
子供に一つのことを教えるためには、その何倍もの教材研究が必要です。
しかし、今ではネット指導案に頼ってしまう先生が多いそうです。
他人の授業案はあくまで参考にするだけです。
そこから自分の独自の方向性を見つけるようにします。


学習指導がしっかりしている先生の学級は崩れません。
子供たちが学ぶことに魅了されるからです。


授業で集団を立て直します。
授業で学問的な世界に導きます。

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