教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 410回 授業は 子どもにとって一回きりの出会い

授業時間数が少ないから、子どもの学力が落ちる可能性があると聞きます。
授業時間の確保は大切ではありますが、問題は、その内容にあることは誰もがわかっていることです。


ある学校では、特定教科が進みすぎて、11月の末には終わってしまうので、最後の単元をいかに引き延ばすかを学年打ち合わせで考えたそうです。
子どもたちに少し教えて「あとは、家で読んでおきなさい。覚えておきなさい」で終われば、教科書の進度を進めることができます。


しかし、授業時間を無為無策に過ごして、子どもたちの学習意欲、学問への目覚めを促すことができるでしょうか。
授業時間を充実させることで、学級経営、生徒指導、道徳教育等が実りあるものになります。


授業を単なる知識伝達と考えて、知識を詰め込むこと(反復、暗記)に力を入れています。
聞くところによると、授業効率をあげるために、どの教科においてもワークシートが多用されているそうです。
ワークシートは、必要なこともありますが、先生の授業の手抜きの手立てとして使われていることもあるようです。


ある理科の生物教材をパワーポイントを使って、教科書の内容を効率的に知識として理解させている実践を聞きました。
知識を入れるために、少し目先を変えることで子どもたちの興味関心を膨らまそうと考えたそうです。それが悪いとは思いません。ただ、それは一つの手立てにすぎません。
動植物を実際に目にすることなく、触れることを抜きにしては、生物教育は行えません。


今、学校の学習園を見てください。
この時期に何が植えられていますか。
へちまやひょうたんは枯れて褐色になり種を宿しています。
マリーゴールドも種をいっぱいつけています。
ところが、学校の先生曰く「きたなくなったので抜きました。代わりに、見栄えのする花を植えました」
植物の命を最後まで検証するのが、植物の学習であり命を感じ取らせる学習のはずです。
先生の教材に対する研究不足から子どもたちが犠牲になっています。
その学校で、観察記録は書かれているか尋ねたところ「一回だけ書かせました」ということでした。
物事を詳しく見つめる観察、その観察を通して、子どもたちを植物に近づけていくはずです。


「教科書を読んで終わり」式の授業で、先生は指導したことにしています。


もちろん、これがすべてではありませんので誤解されないように。
実践家、授業者と呼ばれる先生は、子どもを育てる授業に取り組んでおられます。
授業は、先生にとっては何回目であっても、子どもにとっては、一期一会の学習です。