教育随想 1310回 学力低下は 教員から始まった
私も含めで教師として不勉強は子どもたちに大きな影響を与えてきました。
教科・教材や教育について、抱負な知識を持っていること。
教授方法に熟達した技術を身につけることは、教師といわれる人であれぱ最低の条件ではないでしょうか。
しかしながら、子どもたちを前にして、自分の不勉強が露呈します。
もう少し知識があったなら、子どもの視野を広げることができたはずである。
教授方法がもっと巧みであれば、子どもたちの学ぶ意欲を育てることができたにちがいない。
先生は、常に自分の不勉強を自覚して、子どもたちに日々、授業をしなければなりません。
指導に対する反省と後悔を保ちながら、教材研究を中断させてはならないと思います。
子どもたちに「もっと勉強しなさい」という言葉は、自分に跳ね返ってきます。
教師生活を1年目、2年目・・・と重ねるごとに自分の教師としての力量が高まっていくはずです。
まして、20、30年と教師を続けていれば、大きな指導力を得ているはずです。
しかし、完全にすべてを習得することはできません。
不完全な教育、指導をしてきました。
ただ、その自覚があれば、子どもたちの前に胸を張って立ち続けることができます。
忙しいという言い訳に隠れて、自分を磨くことをしなくなっている先生もおられます。
教師として、何年たっても未熟であるという自覚。
子どもたちの前にたって、何度も失敗を重ねる日々の授業。
失敗は常に乗り越えることができます。
さらに深く勉強、研究をすればいいだけです。
実は、この先生の姿を子どもたちは実感しているのです。
だから、子どもたちは先生と共に歩きます。
子どもは、自分たちのために努力している先生の姿に魅了されるのです。
結果ではなく、先生の努力する姿そのものが、子どもに大きく影響を及ぼしているのではないですか。
未熟である、不完全である今。
その今にどれだけ力を入れているか。
教育に携わる教師の未熟さの自覚こそが、子どもたちを育てる原動力になっています。