教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1330回 学習指導に力が入りすぎると いらいら

路傍の石

実際、子どもを前にして指導していると、自分の思い通りにいかないと焦ることがありますね。

苛立ちすらおぼえます。

真面目に、学習指導の下準備をするほど、計画通りに指導が進まないと、焦燥感から子どもたちに圧力をかけることもあります。

程度の差こそあれ、このような経験は誰にでもあります。

 

学習指導の目的は、理解させるということもありますが、もっと大切なことは、学習に対して自信をもたせることです。

 

うまく理解できない子に、指導の手順を変えます。

決して一つだけの指導方法で教えてはならないです。

 

ところが子どもはわからないので、諦めたり行儀が悪くなったりします。

先生は、理解させられない自分の指導に問題を感じます。

しかし、子どもたちの学ぶ態度が悪いと、先生は「これだけあなたのために頑張っているのに」と愚痴をこぼします。

 

そして、「あなたにねばりがないからだよ」とか「うまくいかないことがあるとすぐに逃げるあなたが問題だよ」と子どもを責めます。

 

本当は先生の指導力の未熟さに起因しているはずです。

指導力不足を棚に上げて、子どもの性格を指摘するのは、子どもにとって嫌なものですね。

 

自信をつけさせるために、真面目に研究をし、熱心に教えているのに、思い通りにいかないと先生もつらいです。

このような時は、自宅に帰ってもその場面が心から消えないです。

再度、指導の方法を検討するしかありません。

子どもの理解できない箇所の分析、原因を追求して再度、次の授業に挑戦します。

 

大人でもそうですが、欠点を指摘されると「自分のために言ってくださっている」と思っても辛く感じることがあります。

子どもはほめられる、承認されると伸びるものです。

自分の小さな努力をほめて認めてくれることは嬉しいです。

先生は、どのような子どもでも、小さな長所を見つけるように努力します。

 

そのようにわかっていても、上から目線で指導することが多いです。

それではだめだと先生は頭ではわかっています。

しかし、実体験において、時々、よくない方向の私が出ます。

そのことを自己凝視して先生道を歩きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

実践者としての道を求めて

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