教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1308回  先生の声は 出し惜しみを  静かに話す子

路傍の石

とにかく先生の子どもに対する声が大きいです。

教室では、廊下に飛びでるような声で話されています。

運動場では、叫んでいるように指示されています。

叱るときは、床に響き渡るようなどなり声。

先生の声は、時には雑音・騒音でしかないことがあります。

 

教室の一番後ろの子どもに届いたらよい声で話します。

声が大きすぎるのは、心まで入りません。

先生はどうしてそんなに大きな声をあげるのでしょうか。

大きな声をだすことが習慣化しているように思います。

 

三十人の子どもたちのざわつきに対抗するためには、ついつい大きな声になってしまうのもわかります。

しかし、大きすぎる声では、子どもの心の奥まで届きません。

大きな声をだしているのだから、子どもたちによく届くはずですね。

実際はその逆です。

 

静かに語る声です。

言葉にゆっくりと気持ちをのせている話し方です。

試しに、子どもたちに協力してもらって、自分の声が教室の後ろに届く声の大きさを調べます。

少し聞こえにくい場合は、子どもたちに教えてもらいます。

そうすると、先生の声はかなり小さくてよいということがわかります。

 

先生としての声を小さくすることで、自分の感情の起伏がなくなり穏やかになります。

さらに、おもしろいことに、やがて、子どもたちの話す声も穏やかで小さくなってきます。

こうして「静かに語る子どもたち」の誕生です。

 

子どもたちが静かに耳を傾けるようになるまで、先生は待ちます。

真ん中にたってゆっくり待ちます。

時間はかかります。

かかりますがその分だけ、子どもと心的に近づいていきます。

 

やがて、運動場での体育のときもあまり大きな声を出さないようにします。

手振り、身振りで子どもたちを集合、解散させます。

私は、生涯、体育のときには、笛や太鼓を使うことはなかったです。

小さな動きだけで、子どもたちとのコミュニケーションをとることができました。

 

 

 

 

 

 

 

実践者としての道を求めて

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