教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 278回 授業 教材のドアを開けて学問の世界に

教材で教えることは、それぞれの学年で指導要領に書かれています。まずは、その教材でどんなことを一律に教えるのかを把握します。


ところで、文科省から出されている指導要領、各教科の指導書を個人で持っておられますか。職員用の書架には指導要領がありますが、ほとんど読まれていないように思います。
学年の教材内容と留意点などがわかりやすく執筆されています。
まずは、それに目を通します。


教科書会社の指導書ではありません。
私は、新任の時は、この指導書に目を通しましたが、これでは、子どもたちの学びを刺激することが少ないと思ったので、それ以降は、単元目標と留意点のみ読み、指導過程が書かれている指導案はほとんど読まなかったです。
実際に指導書に沿って授業をしてみてください。
その問題点が浮き彫りになります。


教材そのものを研究することは、子どもたちに食べさせる食材を吟味することです。できるだけ子どもたちにとって良質なもの(関心と広がりと深まりを期待できるもの)をさがします。


教材研究でもっとも大切だと思うことがあります。
私は、コーヒーが好きで、時々、カフェに入ります。
ところがおいしくないと感じる店があります。
コーヒー好きな人が店を構えていると思うのですが、店主は、自分の入れたコーヒーの味をおいしいと思っているのだろうか、疑問をもつことがあります。


教材も同じです。
まず、指導者が「この教材はおもしろい。広がりと奥行きがある」と思わないで、どうして、子どもたちの前に立つことができるでしょうか。
それでも、あまりおもしろくないと感じる教材があります。
その場合は、何度も何度も教科書を読みます。
その教材の学問的背景を調べます。
理科でいえば、科学史をひもときます。
国語では、作品の背景、作者の人物史を調べます。
私は、新美南吉、宮澤賢治のふるさとに足を運びました。
作者が作品を生み出す風土があるように感じたからです。


社会では、地理や歴史を調べたり、教科書にあげられている町、地域に足を運び、自分の目でとらえます。
中学年の地域学習は現地視察をします。
自動車などの産業学習では、何度かトヨタ市まで行きました。
博物館もありますので楽しくなります。
要するに、先生自身が学ぶことが楽しいという教材にしていくことです。その入り口(学びの角度、視点)を探し求めることですね。


私は、教材を入り口として、いろいろな学問の世界に入ることができました。一つの例をあげると、子どもたちの植物学習です。
植物を子どもたちに近づけるためには、まず、私自身が学んで近づくことです。それが植物学の世界への入り口です。
植物の生態、生きるための知恵などが私にとっては衝撃でした。それから、私は、下手くそな栽培を始めました。
都会の人間で、土にさわることがなかった私には新鮮でした。


教材は指導の媒体ですが、私にとっては、学問への入り口になりました。
教材に近づく、教材を楽しむ、教材のドアを開けて学問の世界に入ります。

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