教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想  279回 お試し授業ができる最後の月 3月

学級担任をされている先生、去年の子どもたちと比べてどうですか。
子どもたちの学びが主体的になってきた。
学習意欲を持たせることができた子どもの割合が大きくなった。
当番活動や係活動を自分たちで運営することが多くなってきた。
話し合いで参加する子どもが多くなった。
子どもたちの親密感が強くなった。
お互いに支え合うことができるようになった。
言葉のとげがとれてやさしさがにじみでるようになった。
まだいろいろあります。


今年の子どもたちを前にして、前に担任した子どもと比べて、どんなところがよくなったか、どこが越えられなかったかなどを振り返ります。
そして、先生が4月に理想、目標とした学級、授業がどの程度実現したのかを静かに振り返るときがやってきました。


同じ学年で比較することになりますが、前の担任のときは、2月で子どもたちの学び、話し合いが主体的になったが、今年は、1月にはできるようになったということでもいいと思います。


もちろん、同じぐらいか、それよりもうまく達成できなかったかもしれないということもあります。
達成できたかどうかを判断できるとき、それは、逆に先生が自分の実践したことが見えているからです。
学校に教育反省があるように、先生自身も学級づくり、授業づくりを振り返ることが必要だと思います。
振り返ることができたとき、すでに、新年度、4月に出会う子どもたちへの指導が始まっているのです。
目標・理想→反省→問題点→さらなる努力点→新年度の新しい子どもたちへの指導に向かいます。


先生が子どもたちを1年間預かったのですから、目の前の子どもたちがうまく指導できなかったことを子どもの責任にできませんね。
親が悪い、地域が悪いといういいわけもできません。
担任として、指導者としての自分を問題にするしかありません。
少しつらいこともありますが、それが先生の良心だと思っています。


4月に担任したときは、前の担任の指導、親の指導が悪いと言えても一年間も関わった今、そのことはいえませんね。


そして、その反省の上にたって、最後の3月は、自分の授業スキルを上げる為の時間にされたらどうでしょうか。
先生の個性を生かした授業、教材であっても方法であってもいいです。
こんなふうに授業をしてみたかったとか、こんな教材を子どもにぶつけてみたかったとか、いろいろあるはずです

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