教育随想 1124回 私的な感情によって指導が変わる
先生として生きることと自分として生きることの間には、ギャップを感じることが多いですね。
これは、誰もが身に覚えのあることです。
何か気にかかること、不愉快なこと、腹立たしいことは日常茶飯事です。
そのような時、なんでもないことにこだわります。
無性に腹がたつことがあります。
苛立つこともあります。
子供との学校生活においても同じ私がありました。
私は、子供との生活でこれらのことに悩みました。
子供たちとのふれあいに公平さをかくこともありました。
あとで後悔することも多々ありました。
自分の感情を押さえてもそこには無理がありました。
私的な感情に左右されない先生であろうと努力もしました。
子供たちとのふれあい、子供に対する指導は、常に、後悔の連続でした。
自分の力量不足を感じる時でもありました。
この個人の感情は授業の質を低下させていました。
それでも、年齢を重ねるほど少しずつ感情に左右されない私に近づいてきました。
子供たちを時には色眼鏡、先入観で見ることもありました。
子供たちすべてに、好意的感情を持ちづつけることができたかは疑わしいです。
揺れ動く私は、そのまま授業に繁栄されていることもありました。
人間としての私、未熟な私は、先生という仕事の前で悩み続けていました。
でも、そのことが、少しだけ、ほんの少しだけ私を成長させてくれたように思います。