教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1110回 新学期 言葉・指導よりも先生から吹く風

レストランに行くことがありますね。
入店した瞬間、すでにレストランの風が吹いています。
張りつめた風、わくわくする風、なんとなくけだるい風・・・・。
すっきりとさわやかな風が吹いているレストラン。この風はどこから吹いてくるのだろうかと考えます。


見えるものは、ごみ一つ落ちていていない床。
清潔でていねいに整理されたテーブル。店員の落ち着いて歩く姿。
聞こえるものは、入店と同時に耳に届く「いらっしゃいませ」というはずんだ声。
店員の注文を聞く応対のさわやかさ、笑顔、簡潔さ。
食事中に水がなくなると、こちらから声をかけなくても、すぐに補充してくれる店員の気づき。
客をたえず意識の中においている証左でもあります。
客に少しでもおいしく食べてもらいたいというオーナーの計らいではないでしょうか。それを受けて、店長や店員から風が吹いているのです。
それぞれの人の心持ちが自然に風となって表れています。


先生が意識しなくても教室では、先生の風が無意識のうち吹いています。
先生自身が風なのです。
吹かさなくても自然に風が吹いています。


先生の服装、言葉、ふるまいなど先生から風が吹いています。
その風が子どもに向かっているということを忘れてはならないと思います。
先生から流れる風は、春風のようにさわやかなものでありたいですね
ところが先生も人間ですから、毎日、同じ風、さわやかな風とは限らないです。それは仕方がないですね。
ただ、意識しなくても先生は先生としての風が子どもたちに向かって吹いていることです。


新学期、子供たちを迎えます。
あなたは、子供たちにどのような風を送ることができますか。


子供たちからも風邪が吹いてきます。
子どもたちの風(主張・ふるまい・性格など)を先生が受け止めることです
受け止めるとは否定しないことです。
ひたすら聞き手にまわることです。


ばらばらに吹いている風の向きがそろってくるようにします。
それは、子どもたちの共通基盤をつくることです。
運動会の対抗リレー、球技大会の優勝をめざすとき、一つの目標に向かって子どもたちの風が流れます。
これは、共通の目的や意識をもつことで、子どもたちの風の向きがそろうのです。


学級のそれぞれの子どもたちが、みんなで「こんな学級」にしようという意識を持たせることで風の向きは変わります。
授業の中で、集団学習が発展すると、一つ一つの問題を解決していくことに楽しさを感じ始めると一定の風が吹きます。
だから、授業が重要なのです。


甲子園球児が優勝を目指して練習や試合をしているとき、選手個人の不満はあっても、「優勝」という共通目標のために、一致団結しようという思い、チームの風が吹き始めます。


 先生が意識して吹かせる風もあります。
 私が一番大切にしたものは「明るさ」と「元気さ」です。
 その二つのものは、教室の活動エネルギーになります。


明るい挨拶。子どもたちに言われる前に私の方から挨拶します。子どもより先に挨拶をするように心がけます。
先生が意識して吹かせる風は、教室の背景であり、BGMです。
教室の後ろで、ゆったりと流れています。レイトランに流れている音楽のようなものです。


風、雰囲気、ムード。
匂いまでもが風となって子供たちに届くことになります。
先生が意識していない風のほうが多いです。
新学期は緊張します。
同時に、不安が漂います。
先生は、子供たちに言葉をかける前に、語りかける前に、沈黙の先生のなかで、子供たちを魅了することを考えてみたらどうでしょうか。

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