教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 419回  授業は、先生自身の姿そのもの

年齢を重ねると、教科書を見ただけで大まかな授業計画が浮かびます。
今までの経験に照らして計画できます。
先生は、自分の知識や考えをもとにして、教え込んでいきます。
子どもは学ぶものというよりも教え込むものというほうが強いようです。


授業経験を重ねると、適当にごまかしてしまうこともあります。
一方的に解釈した教材を先生の意図のみで進行します。
子どもの思考が停滞したり横道にそれたりすることを嫌います。
授業者としてのプライドが計画した指導案の修正を嫌います。
予定通りできました。
時間どおり終わりました。
子どもたちの停滞もありませんでした。
という授業者の言葉です。


子どもたちの学びがずれる、それることを嫌う(恐れる)のは、授業者自身に知識・技能が乏しいからです。
教材解釈に深みがないと、子どもたちの多様な考えを受け止めることばできません。
子どもたちがどうしたらわかるようになるか、できるようになるかを考えることは少ないです。
ほとんど授業者の一方通行です。


授業者は、ある教材で子どもたちが飛びついて盛り上がることがあると、その授業に自信をもつことがあります。
表面的な発言、雑談、反応がよいことが授業の成果だと考えがちです。
しかし、子どもが学ぶというのは、子どもたちが心のなかで自問自答している姿です。
静かな緊張感に満ちている教室です。


先生自身に授業に対する自信があるなら、授業を参観されることをいつも受け入れます。
先生ほど、授業参観を嫌がる職種(仕事を外部から見られること)はないように感じます。
保護者授業参観では、なんとかつくろっていいところをみせようとします。(当然な営み)
職員研修での授業参観、参観後の反省会の先生方の発言に不安を感じます。
どんなことを言われるか、そればかりを気にしておられる先生もいます。


私の勉強会に来られている先生が、先日、研究授業をされました。
何回も指導案を練っておられました。
私は次のように話しました。


私は、授業後の反省会で、先生方が言われることをすべて吸収してください。
批判的に聞かないようにしてください。
それぞれの先生の一言が、自分の授業のどこを見て言われているのかを考えながら聞いてください。
あなたの授業は、汚いたとえになりますが、排泄物です。
他人は、好きなことを指摘します。
でも、排泄物を最も気にしなければならないのは、あなた自身です。
排泄物から欠けているものを見つけだして、明日からの授業に生かしていくようにします。
自分の授業をこれでいいと思った瞬間から、うぬぼれが始まり、やがて落ちていきます。

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