教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 15回 新教室  その最初の印象が教育の始まり

前の学級の掲示物や押しピンをはずします。
新しい気持ちで入室する子どもたちを想像してください。
古い掲示が張られていたり、無意味な押しピンがささっていたりすると、気持ちが色あせてしまいます。


一人一人の児童机にすわって、座り心地、がたつき、机の表面の凹凸の有無を点検してから、机の中の雑巾掛けをします。凹凸のある机はパテを使ってうめていくか取り替えます。机の落書きは消します。


教室の棚やロッカーの雑巾掛けをします。
よく、掃除は、新学期に子どもたちと一緒にすればいいのではという意見もありますが、私は、子どもたちが担任発表を聞いて、教室に一歩踏み入れた時の新鮮な気持ちを大切にしたいのです。


 「あっ、なにかが違う」「なんとなくやる気がでそう」「新しいものがいっぱいだ」「すっきりして気持ちいいなあ」という感覚を持たせたいのです。
教室に入室するだけで担任の一年間にかけるメッセージが伝わるようにします。
ですから、初日の日は子どもに掃除をさせません。
二日目から掃除を始めます。
レストランやホテルに入った時の清潔感をだすようにします。


前のシールがこびについていることがあります。これもきれいにはがしていきます。教室の床板をチェックします。落ち込んだり、引っかかったりするところはないか、すべりやすいところはないかを歩いて調べます。


教卓の中と周辺の片づけ、子どもたちが、いつ、先生の引き出しをあけてもいいように片づけておきます。
ふつうは、勝手にあけないように伝えておきますが、それでも、先生のいない時にそうっと開ける子もいます。そのときに「さすが、先生だ。きれいに片づけている」という認識を与えます。
これが、自分のロッカーや引き出しの片づけに影響します。
先生がしていないことを子どもたちに要求すると、高学年では、不信感を持つようになります。


床を掃き、机や椅子の雑巾がけをします。窓ふきも大切です。一年間、子どもにさせられませんので、窓ふきは、清掃当番が決まっても先生の担当にします。


教室の時計の位置、ふつうは、教室の横にかけていますが、これでは、すべての児童が時計をみることはできません。授業が早く終わってほしいという子どものために、前の黒板の上に取り付けます。
そうすることで、前を見ているだけで時計の示すか時刻がわかります。
私のつまらない授業をがまんしてもらうために、せめて時間の経過だけはわかるようにしておきます。よそ見して見なくてもいいですね。


一日に片づけるのは大変ですから、毎日、少しずつ実行していきます。
最後に、植木鉢の花をおきます。花瓶は、きれいに洗って後ろの棚の上においておきます。学級に落ち着きがでてくると、誰ともなく、そこに花がいけられるようになります。これは不思議なことですが、5月の中旬ぐらいに生けられることが多いです
これは、子どもたちが自分の教室にしたいという思いがそのような行動を起こさせるようです。ですから、花以外の置物や海岸で拾ったという石を教室に飾ることもあります。


最初の教室をすっきりさわやかにして、新しい子どもたちを迎え入れます。
飲食店と同じです。
環境を整えることで、料理をおいしくさせます。
子どもたちの新鮮な気持ちを萎縮させるわけにはいかないのです。

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