教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想1287回  知育・徳育・体育の以前に「気」がある

路傍の石

「気」とは「目に見えない生命エネルギーや心の働き・周囲の雰囲気など、様々な側面をもつ概念」

 

「東洋医学では生命活動を営む根源的なエネルギーとされ、呼吸や食事から得られるものとされていいる。」

 

「気」がつく言葉はとても多いです。

その言葉を見ると、すべてが生きること、根源的なものにかかわっていることがわかります。

 

元気 気分 気配 気質 大気 空気 水蒸気 やる気 勇気 気候

気を付ける 気が利く 気が付く 気合 病気は気から

 

気は呼吸・消化・排泄・免疫といった生命活動を支える力です。

このなかの一つでも衰えると病気に向かいます。

これは最も基本的な気です。

 

学校教育では、気という言葉が多く使われています。

「気をつけなさいよ」(注意力)  「元気をだしなさいよ」(やる気)

「根気よく調べてごらん、計算してごらん」(学習意欲)

「あなたやる気があるの?」

 

この「気」が消滅してしまうことが多くなっています。

母子の会話のなかに

「早く起きて」「早くご飯をたべて」「早く顔を洗って」「忘れ物は?」

「気を付けて行くのよ」「返事は?」

このどこに子どもたちが自ら気を起こそうとするでしょうか。

子どもよりも先回りをして指示することが子どもの思考と気を止めていることがわかります。

 

学校においてよく見かける場面

「あれダメ これダメ」「何度言ったらわかるの」

「なんでこんなことができないのよ」「何度言ってもだめなんだから」

知らず知らずのうちに、子どもを洗脳してダメ人間に追い込んでいきます。

 

子どもは、何度も同じ注意されると、自分の気持を起こすことができなくなっていきます。大人の言うことを聞かなくなります。

 

学習意欲は「勉強しなさい」という指示では生まれません。

どこまでも子どもたちの内なる世界、精神世界のものです。

 

子どもに学習意欲を直接的に持たせることはできません。

植物の茎を引っ張り上げて伸ばすことはできません。

水・肥料・温度管理等の間接的な働きかけでしか生長させることはできません。

学習意欲も間接的に育てることしかできないのです。

ここに、教師の学習指導、授業の意義があります。

 

「もっと頑張りなさい」と言うなら「どうがんばればいいか」の具体的指示。

「忘れものしないように」と注意するなら、忘れ物と学習意欲のつながりを観察すること。

 

「人に乱暴しないで」と注意するなら、その子の底にある怒りを聞いてみよう。

 

「もっとよく考えなさい」と言いながら、考える時間が短すぎる。

子どもは何分間集中して考えることができるか調べる。

そして、その集中時間を延長していく試み。

 

「どうしてそんなことをしたの」と言う前に、結果よりもそれに至った過程と心情を推察しよう。

 

学級は学習の道場である。

だから、学べる雰囲気を育てることが大切ではないか。

雰囲気には、指導者、先生も入っているということを自覚する。

 

学べる雰囲気の「気」をつくるのが授業者の役割である。

食べる時には食べやすい雰囲気をつくるように、学習においても「やる気」がでるような指示、助言をする。

 

授業者は、オーケストラの指揮者に似ているかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

実践者としての道を求めて

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