教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1069回 子供と通じ合うための実践 学校行事を語り合う

済んだ学校行事の反省、これからの学校行事の抱負について語り合います。 その意義は 学校行事が子供たちの意識から離れて、教師集団だけの行動にならないようにします。 そのために、普段から子供たちと意見交換をします。 行事で楽しかったところ、次回は、こうしてみたらという提案も聞きます。 全校集会 それぞれの学年に応じて、関心を持つ内容が違います。 低学年では、自分中心の行事を考えます。 高学年では、自…

教育随想 1068回 子供と通じ合うための実践 休憩時の意見交換

休憩時間に先ほどの学習についての意見交換をします。 全体を相手にするのではなく、数人の子供との会話を試みます。 「さっきの時間、先生はみんなの意見を聞いてわかるようにしたつもりだけど、どうだったかを教えて?」 「さっきの時間、どうして、みんながだまってしまったのかわからないんだよ。どうしてかを教えて?」 「さっきの時間、先生はいい勉強だったと思うけれど、みんなはどうだったかな。ひっかかることはあ…

教育随想 1067回 子供が抱く「いろいろ性」を尊重

学校生活の中でも、学習時間に子供たちはいろいろな発想を秘めています。 それぞれの子供の発想(いろいろ性)が全体の場で生かされているとはいえません。 そのためには、一人の発想を全体の場で協議する場を設定します。 子供集団(教育されていない集団)は平等ではありません。 集団のなかで位置の高い子の発言は取り上げられます。 存在の薄い子供の発言は無視されることがあります。 あるいは、揶揄される傾向にあり…

教育随想 1066回 三学期 惰性と空白と緩みと

2学期が終了しました。 2学期は、学校行事も多く大変だったと思います。 先生も子供たちもほっとしている時期ですね。 三学期には、卒業式以外に大きな行事がないです。 あとは、3月まで無事、何ごともなく過ごしたいと思う子供もいるでしょう。 ところが、学期末の気のゆるみのまま三学期に入ると思わぬことがあるものです。 一つは、大きなけがです。 子供たちは3月の終わりに近づくにつれて気の緩みがでてきます。…

教育随想 1065回 教育のおもしろさは 手引きが使えないこと

一人の子から得た指導経験を他の子供に直接与えることはできません。 一人の子を教え育てる方法は、すべて同じではありません。 新しい出会いの子供たちを見ると、今まで指導した子供に似ていることはあります。 先生は、指導を一般化、分類化されることが多いです。 「暴力的な子には」「落ち着きがない子には」など、経験から指導をパターン化されることがあります。 自分の経験を生かして、思い出して子供に対応すること…

教育随想 1064回  先生の指導力は 子供が変わるきっかけづくり

一人の子がいました。 この子は緘黙児童です。 今まで学年が変わるごとにそれぞれの担任が言葉を使わせるために苦心を重ねてきました。 6年生になって、A先生が担任になりました。 その子については、前担任から事情は聞かされていました。 A先生は、示された資料をもとに献身的な努力を重ねてきました。 結果 その子は名前を呼ばれると小さな声で「はい」と言えました。 さて、ここからが問題です。 その結果を見て…

教育随想 1063回 教育に人生をかける先生とは

一つは、世間に向かって虚勢を張る「先生らしさ」 二つめは、子供の教育に自分の人生をかける「先生らしさ」 前者は、外に向かっての「らしさ」であり、後者は内に向かっての「らしさ」です。 子供の教育にとって重要な「先生らしさ」はどちらでしょうか。 当然、後者の「らしさ」ですね。 もちろん、前者を目指している先生もおられます。 自分の研究ではないのに(職員組織の研究)中心におられたというだけで、マスコミ…

教育随想 1062回 子供になめられたら なめられながら成長すればいい

小学生は、日々目のぐるしく変わるものですね。 だから、欠点も非常に多い時期です。 その時に、先生が絶対的な立場に身を置くと、子供たちの欠点だけが強く印象に残るものです。 「どうしてこんなことができないのだ」 「これぐらいのことが我慢できないのか」 「どうして聞くことができないんだ」・・・いろいろ 欠点が目に入るたびに、先生の口から愚痴が自然と飛び出します。 先生は、自分の子供時代をよく覚えている…

教育随想 1061回 学校は子供と先生が 共に間違いを起こす場

間違いは子供だけに起こる現象ではありません。 子供も先生も発展途上の人間です。 その間違いを率直に認めることです。 音読教材の読み間違い、漢字の筆順の間違い、計算間違いなど子供から指摘を受けることがあります。 下調べをしっかりしているつもりでも間違いは起こります。 その時に子供たちに「ごめんなさい、先生の勉強不足です」と謝ります。 英国のある哲学者は 「間違うから人間である。間違いを少なくしよう…

教育随想 1060回 子供に 受け入れられることを意識しない

子供たちが望んでいる担任は、「やさしい先生」「親切な先生」「面白い先生」となっています。 このことを正面から受け止めて、若い先生の中には、子供集団に「受け入れられる」先生になろうとしています。 そのために悲壮な努力をされている方もいます。 子供たちの人気獲得に一年を費やしている風潮がうかがえます。 現場の先生は言います。 「子供が私を好きだと言ってくれました」 「子供が先生が担任でよかったと喜ん…