教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 898回 授業の始まり なか、終わり 一つの景色

路傍の石

読解力とは、読んで字のごとく「読んで解く」こと。
「解く」とは、文章を読んで、疑問、不明点などの問題にふれ、それについて何らかの見通しがもてること。
「なぜだろう」「どうしてそうしたのか」「それはおかしい」などの問題意識を持つこと。
したがって、文章を読んで何らかの問題が浮かばないと読解指導とはいえない。
子どもによって程度の差があり、あるのが当たり前。
問題意識をもつこと、もたせることがスタートライン。


問題意識の持たせ方としての三つの立場。
1指導者が強引に問題意識を入れ込む場合。
2.指導者が問題意識が生まれてくる過程を大切にして、問題意識を高め
 ていく場合。
3.子どもの能力、環境、体験によっての個々別々の問題意識。


ふだんの授業では、(1)の場合が多い。(師問-師答)
研究会になると、少しおもしろい光景が表れる。


授業の始めは、(3)で始まる。
指導者は余裕をもって、子どもたちの考えを聞いていく。
ところが中盤になり終了時間が迫ってくると、(1)に変わる。


もう少し詳しく見ると。
始業時は、指導者の表情に余裕が見られる。
顔に微笑をたたえている。
言葉も間合いをとってゆったりと話している4。
子どもたちのすべてを目に入れているような態度。


中ほどになると
言葉が早口になってくる。
目じりが険しくなる。
目線は、クラスを代表する優秀児だけを追っかけている。
子どもたちの応答に対して、激しくイエス、ノーを加える。


さらに、時間がなくなってくると
呼吸が荒くなる。
自分の提出した問題に対して自分が答え解説していく。


最後にとどめの一発。「みんな・・・わかりましたね」
子どもたちを見る指導者の眼差しは、きびしいものになっている。


このような授業は、国語以外の授業においても見受けられる。
指導者が子どもと向き合っていない。


子どもたちの問題に向き合うのではなく、指導者の課題を先行させている
これは、わたしが参観した一人の先生の授業風景である。

実践者としての道を求めて

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