教育随想 856回 先生という仮面をつけた私
教師という肩書き。
新卒の時には、この肩書きをどのように受け取っていたのだろうか。
先生としての自覚、まじめで人間的にも少しは成長していこうと心に抱いていたはずである。
日々、自分を先生という仮面に近づけようと努力する毎日。
私が先生としての資質にかけるものが多かったからである。
だから、子どもたちから先生と呼ばれることに後ろめたさがあった。
ところが何年も先生をしているうちに、先生という肩書きに酔いしれていた私が芽生えてきた。
子どもを自由に指導できる立場、一応保護者からは先生と呼ばれる地位、そして、実践の成果をあげてくると「すばらしい先生」という言葉に自信と驕りだけが私にはりついてきた。
私は先生という肩書きの上に寄りかかって日々を過ごすことが多くなった。
ところが、そのうちに、私の中で違和感をもつようになる。
先生の肩書きとともに歩いているうちに、私自身をどこかに置き忘れてきたように感じてきた。
先生の肩書と私が、少しずつ時間をかけて遊離してきたように思い始める。
私が私を捨てているように感じることが多くなる。
私を見つめることなく、先生としての私しかみつめなくなったのだろう。
肩書をもつことは、ワッペンを付けているようなものである。
大学を卒業して、世間の知らない人間が「先生」と呼ばれることの違和感。
自分も先生という仮面をつけて、あたかも教育の専門家のような気になる。
おそらく、どの職業も同じことが言えるのではないだろうか。