教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 1204回 授業 子どもを目で学習の中に引き込む

路傍の石

簡単に引き込めるものではありません。

日々、そのような目標を持っていても、先生指導からこぼれ落ちていく子どもが多いです。

しかし、先生の全員の子どもを参加させたいという意識がないと、すり抜けていく子どもは見えません。

私の日々の反省でした。

 

授業で一人でも多くの子どもたちを相手にしたいものです。

そのために最初に意識したことは、子どもの姿を目の中に入れることです。

子どもの様子を把握することです。

 

子どもたちに話すとき、子どもたちと眼差しを共有します。

一時間で全員の子どもと、どれだけ目をあわせることができたかを自分に問います。

 

子どもは眼差しを通して、自分の存在を知ってほしいと思っています。

「ぼくを見て」「わたしを見て」と思いながら先生に近づいてきます。

 

授業においては、視界のなかにできるだけ多くの子どもたちを入れます。

教室の中央を見ていても、両端に座っている子どもたちの様子がわかるようにします。

視界を広角にもっていきます。

 

次に、観察です。

子どもたちの様子から子どもたちの心の揺らぎを察知できるようにします。

これは自分に課した訓練です。

手の動き、足の落ち着き、聞くときの眼球の動き

姿勢の変化を見るようにします。

 

中には、指いじりや髪の毛をさわって退屈している子もいます。

そのような子どもは、眼差しをその子に集中します。

つきつい眼差しでは注意になります。

上半身の動きが止まっていても、机の下の足をゆすっている子もいます。

 

「あなたのことを気にかけているよ」というメッセージを子どもに伝えます。

 

そうなのです。

眼差しでうつむいている子どもの背中を起こすのです。

声をかけなくてもいいです。

沈黙のなかで子どもを見るようにします。

 

学習に引きこむのは眼差しだけではないですね。

次回も引き込むための手だて、実践を話してみます。

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