教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 839回  教師の仕事 易者 役者 芸者

前回に続きます。
易者としての教師
跳び箱3段をとべた子がいる。
その子は、跳び箱上の手の運び、踏切り台への入り方から見て、4段も飛べるとする。
ただ、その子の少しばかりの恐怖感が挑戦することをためらっている。
そのような時に「あなたは、もうすぐ高い段をとべるようになるよ。3段とんだときのあなたの動きがよかった。少しばかりの勇気さえ出せたらどべるように思えるなあ。」
これは、子どもの未来を占っているのである。
子どもの可能性をどこまでも信じていく指導者の姿勢が大切である。
先生がそこまで言ってくれるならとべるかもしれないと信じさせる。


子どものすこし先の未来を予言していくことで子どもが挑戦する意欲を持たせる。
決して、しなさいという指示ではない。
できるかもしれない、できるような気がするなあという程度のものである。


役者としての教師
本気で叱らない。
かなり怒っているふりをしても本当はおこっていない。
子どもの前で、どんな先生を演じたらよいかを考える。
もちろん、本気に叱ることも必要である。
しかし、その前段階において、小さく叱ったふりをすることで、子どもたちは安心する。
先生は、本当は、ぼくのことを考えていてくれると思えるような叱り方である。
ほかにも、子どもたちの成長に少し大げさに褒めたり喜んだりすることもある。
子どもによって、その行動は異なる。
授業で子どもたちの考えにゆさぶりをかける時にも、演じてみせることもある。


芸者としての教師
今は芸者と言う言葉を使うのは適切ではない。(当時はその言葉であった)
しかし、その意味を理解してほしい。
「どこまでも相手を楽しませる、いい気分にさせる」ことである。
子どもたちと同じ目線で子どもたちと楽しみを共有する。
時には、自分を低めて子ども一人ひとりを持ち上げる。


学者、医者、易者、役者、芸者の5つの仕事内容をあげた。
子どもにとって「楽しい先生」でなければならない。
子どもにとって「安心できる先生」でなければならない。
上の5つの内容において、どれをとっても子どもを楽しませるものでありたいと願う。
そして、そうすることで、子どもは先生を尊敬の目で見るようになる。
私は、すべてが得意ではなかったが、学者、医者としての先生に力を入れてきた。
その後は、役者としての先生を育てるようにした。

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