教育随想(授業づくり・集団づくり・児童理解)

実践、反省、さらに実践・・・

子供たちを相手にして、悩んだり迷ったりしている先生に読んでいただきたいと思っています。
迷うことが、悩むことが先生の良心であり、最も大切な能力ではないのでしょうか。
 わかったことよりわからないこと、できたことよりできなかったことに 心を向けていく先生は 素敵だと思います。

教育随想 668回 話し合い活動の活発化 発表言葉から話し合い言葉へ

発表するときは、丁寧な言葉「です」「ます」を語尾につける。
話し合い、特に、学習においては、普段の言葉を使うようにする。
堅苦しい発表言葉ではなく、柔らかい話言葉を使っていく。
子どもたちの内言がそのまま出るような、つぶやきが音声化されるような言葉を使って話し合いを進める。


話し合いは、集団思考である。
考え合う、考えやすい言葉を使うと、和やかさがでてくる。
そこには、自然に笑いも出てくる。(笑いは学習に即して生まれる)


このころになると、話し手は、なんとかみんなに自分の考えをわかってほしいと
願うようになる。
それまでの発表では、自分の意見を言えば終了という顔をしている子どもが多い。
言ったあとで、友だちの考えを聞こうとしないこともある。


授業参観で、子どもたちの話し合い活動がある。
その時、考えをつなぎあっているかを確かめることができる。
発言した後の子どもの表情を見る。


自分の意見を言えたと安心している子は、そのあと、すぐに観客の顔になる。
あるいは、先生の顔色を窺う子もいる。
時々、授業によって、発言するときに、自分のノートを読み上げている子がいる。
これは話し合い、考え合いではない。
自分の考えを前もって書いていても、発言の時は、ノートを見ない、しばられないことが大切である。


授業において、子どもたちが話し合いに意欲的になると、思わず自分言葉がでる。
チャンスである。
自分言葉を取り上げて全体の話し合い活動に取り上げる。(子どもの了解を得て)
そうなってくると、学級独自の話し合い活動に必要な言葉が生まれる。
普段の言葉でいいのだ、日常会話でいいという安心感が生まれる。


このように言うと、必ず出てくる意見。
「子どもには正しい話し方をさせる必要があるのでは」
私たちが日常会話で話していても公の会議では言葉を選ぶ。
発表と話し合いの言葉の使い分けができるようにすればいい。


実践方法は、子どもの中に見い出すことができる。
子どもから離れて参考書に自分の身を置いてはならない。
やがて、自分の実践を失っていく。